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軽度発達障害児支援現場レポート―実践者のつぶやき―
ブログ紹介
このブログは、LD,ADHD,高機能広汎性発達障害(高機能自閉症・アスペルガー症候群ほか)などの軽度発達障害児・者をめぐる出来事、問題を指導実践の視点で綴るブログです。
彼らの当たり前の幸せに向け、健やかな成長を支援するために、彼らの独特の感覚・思考に歩み寄り、心を通わせることの大切さをベースに記したいと思います。
また、自治体や学校などの公的機関と連携をとる中、特別支援教育など、支援システムについても、より実効力のあるシステムの構築を願い、民間の切り口で書いてみたいと思います。





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職業病

2008/03/01 22:49
 先日、私は幼稚園の年中児の我が娘の面談に出向きました。私は少々高齢の部類の、年中児の母なのでした。


 我が娘は、クラスになかなか馴染めず一人でいがちな子に、わりとライトに「一緒に遊ぼうよ」と声をかけるらしく、先生は助けられているなんていってくださいました。一般的には、「思いやりのある子」という評価をいただくかもしれません。先生もそういったニュアンスで話してくださいました。


 しかーし!私は『そういうことじゃないって事もあるな』と即座に思ってしまうわけです。たとえば、大多数の子どもが何人かのグループで遊んでいるのに、一人だけポツンとしている子がいたら無意識に空間的に気になるな、という具合に。


空間的に気になるというのは、大きな丸の柄ばかりのなかに、一つだけ小さな丸があったら、その丸は環境刺激として違和感をもってアピールしてきます。私にはその感覚がよくわかります。だから、小さな丸を大きな丸に同化させてしまえば、違和感がなくなり、なんとなく落ち着きます。もちろん無意識です。


または、一人だけポツンとしている子は、ちょっとおとなしめだったりして、我が娘のように、いろいろ思いついてしまい、やりたいことがはっきりしている子には、自分のペースで遊びやすいとか。従えるというのでなく、どこかのご夫婦のように、お互いにそれが楽っていうパワーバランス。

もちろん、それとは別にテンション高めな子同士惹かれあうというのは、私がかかわる子たちにはありがちですが、それはまた別の機会に。


という具合に、いろんな側面からの解釈ができるわけです。


 実際、我が娘に「お友だちと遊んでいない子に、一緒に遊ぼうって誘ってあげてるの?」とたずねると、???何言ってんの?という反応。彼女の名誉のために一応付け加えておきますが、何も考えてないわけでなく、思いやりを発揮したことを忘れてしまったのかもしれませんが・・・。
いや、でも私は何も考えていない確率の方が・・・。



 先生は、我が娘について誰とでも遊べる、といい意味でいってくださったけど、彼女の場合、「○○ちゃんと遊びたい」っていうお姉さん的な感覚はあまりなく、よほどイヤなことをされなければ、誰でもいいって感じもありそうです。


また、縄跳びなどずいぶん長いこと集中して一人で練習することもあるとほめていただいたのですが、彼女、熱中すると過集中になり、やめるのが大変なときあり。とくればもちろん、それ以外については、どちらかという飽きっぽい。新しいこと、刺激的なことは大好き。


 幼稚園での我が娘の行いの理由の真偽のほどは追求してはいないのですが、「思いやり」や「集中力がある」「分け隔てない」という定番の情緒的な解釈で、彼女が不利を被ることはありません。むしろ、実像よりも高評価だったりするかも。


しかし、私がかかわらせていただいている子どもの場合、この情緒的な解釈が子どもを苦しめていることは少なくありません。悪気があるように見えても実は悪気なく、嫌みや攻撃のように見えても、実は本人にとってはよんどころない理由があったり。


人は情緒的な解釈が好きです。プラスの解釈の場合、心温まり気持ちがよくなるからかも知れません。


 私も、情緒的な解釈は放っておいても浮かびます。けれど、それとは別のドライで科学的(本当に科学的ではないのですが、情緒的の対義語として)な解釈の仕方もすっかりプログラミングされていて、これって職業病?って感じです。


そして、情緒的でない解釈が子どもを助けることを身をもって経験してきました。


情緒的以外の解釈を加えることにより、対応のバリエーションが増え、彼らのうまくいかない本当の理由に合致した対応ができる可能性が高まるというわけです。


 でも、母の立場ではこれをやらなくてもよさそうなものを。因果なものです。


 私の場合は、好意的な誤解?も手伝って、なんてことのない面談で終わるのですが、そうでない場合は結構へこむよな〜。


 娘の面談は、保護者の方の気持ちの視点を常にもち、勇気をもって次にすすんでいただけるようサポートするという、面談する側の姿勢を再確認させてもらえるよい機会にもなっています。




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幼児教育にはまる。

2008/01/31 14:02
 ちょっとバタバタしている間に、前回の投稿から2ヶ月以上も過ぎ、もうこのブログは更新されないのではないかと思った方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
今年も、できる限り書いていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
ただし、ライト、ヘビー取り混ぜて。


 さて、これまで教育機関との連携では小学校が主流だったのですが、一昨年くらいから幼児教育機関からのご依頼が急増しています。

前回の記事「ぼくの世界へようこそ」も、その中で書きました。もともと幼児教育にすごーく興味があったわけではない私ですが、ここのところ、幼児教育にとてもやりがいを感じるようになりました。

その理由は、
@早いうちから保護者の方を支えることができ、保護者と教育・保育機関との
 軋轢という不幸を生まずに有機的に子どもをサポートする素地を築く作業が
 できること。

A保護者の方に子どもが小さいうちから、子どもの発達の特徴や具体的な
 対応をお伝えすることができ、無用な嵐を巻き起こさずに、健やかに子ども
 を育てる環境をつくれること。

Bはじめての集団参加から、集団の中で本人がよりよく居られる日常を作って
 あげられること。

Cまわりのお子さんに、苦手を持つ子をどうとらえ、どう対応すればよいか小さ
 いうちから伝えられること。

D学校よりもカリキュラムの縛りが弱く、その子にあった環境、課題、対応が提供
 できること。

E学校よりも「教育とはこうあるべき!」が比較的軟化しやすいこと。

F学校より規模が小さく、先生方が同じ方向性をとりやすいこと。(方針の違いに
 よる軋轢が生まれ難い)

というわけで、幼稚園・保育園自体の方針転換が思いのほか早い、先生方の意識の変化が感動的。その結果、子どもが変わる!


 この1年を振り返ると、幼稚園・保育園での仕事は本当にやりがいを感じました。正直最初はそうは思っていませんでした。半期を過ぎたことから、先生方の変化に感動を覚えるようになりました。

現場がどんなに大変かわかるだけに、その日々のなかで教育観・保育観を変えることは、容易いことではないと思います。本当に頭が下がります。

そうなんです。特別支援教育とは、教育観・保育観の転換という指導者にとってとても辛い作業を伴うのです。これについてはまたいつか。


 今年度、50時間近くお伺いしたある園については、来年度同学区の小学校に行く子についても担当することになり、一貫性のある支援が提供できる予定です。そして、以前「育ってる!でも先生になると…」の回で書いた有能な大学院生も支援員として入る予定です。保護者の方との面談も済み、来年度は、私、保護者の方、支援員はなかなかよいチームワークでいけそうです。

あとは学校との連携。こちらは、来年度に向けてこれから調整に入ります。



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ぼくの世界にようこそ。

2007/11/05 18:57
 先駆的な自治体では、多くの訪問時数枠が設けられているため、定期的にお伺いし、個別指導計画立案やケース会議の他に、1時間前後教室に入り、対象となっている子どもと過ごす時間が持てます。

 
 この時間、自分でやってみたうえで、どのような対応が「この子」に有効かを先生方にお知らせすることができるし、先生にも、私の対応を現場でみていただくことができ、とても有意義だと思っています。



 さて、ある園の年少組の○君と一緒に過ごした時のお話。


私が教室に入ったとき、トイレから帰ってきた○君は、棚にあったセロハンテープカッター用の中心(以後“コマ”といいます)をめざとく見つけ、くるくると回し始めました。


みんなで活動を始めようというときだったので、担任の先生はそれをやめさせようとしましたが、○君は無視、私も容認しているのを見て先生はそのままに。


もし、“コマ”を回させたくなければ、彼の目に入るところ、手が届くところに置くのはやめましょう。回した本人が悪いのではありません。置かないことが『先回り対応』です。


脳は成熟するので、子どもにあった対応があれば、卒園するときまでには同じことはやっていません。だから今は事を起こさせないことが大事。



今回私は、この“コマ回し”を利用しました。彼がくれた私用の“コマ”を私もいっしょに回しました。


なぜなら、先生が、給食の隊形からとなりのスペースに「まねっこ」をしながら子どもを誘導し始めたから。きっと彼はこの状況の理解が難しく、みんなと同じに参加するどころか、ウロウロしだしたり、みんなの邪魔をしたりするだろうと思ったからです。


“コマ”をまわしているうちは、結果的にみんなの邪魔になるような言動はないはずです。


本人にとってがんばってもハードルが高いことを、無理やりやらせようとすると、目立つ不適切な言動に至ります。すると、周囲からの評価も、子どもによっては、自己評価も下げてしまのです。何より、対応者との信頼関係が築けません。



 みんなで何か体を動かすようだったので、彼をみんなから離れたエリアに誘いました。一緒にいることで過刺激となり、調子を崩すと考えたからです。


環境刺激の調節は、彼らが不適切な言動をしないために、極めて重要な『先回り支援』です。



 音楽が始まり、運動会のお遊戯の練習が始まるようだったので、彼に、「先生がストップっていったら“コマ”を終わりにして先生の真似してみて」と伝えました。


運動会の練習については、事前に先生から、彼はみんなといっしょにやるのは難しく、別室で先生とマンツーマンでやったら、ほんの少しだけ踊ったというお話を聞いていました。



 私は、少し離れたエリアであっても、みんなといっしょの空間でできないだろうかと考えていました。もちろんみんなといっしょにやることが目的ではなく、彼の、環境からの刺激処理の上限を知りたかったから。


 「ストップ」というと彼はすぐに“コマ”をやめました。さっき先生に止められそうになったときは無視していたのに。


事前予告と「ストップ」というわかりやすい提示は、このタイプの子には有効です。


事前予告も『先回り対応』です。


 そして、私がみんなのお遊戯を真似てやってみると、彼もいくつかの動きを真似てくれました。すぐに終えてしまったけれど、でも、みんなと少し離れれば、教室内でもちょっとだけなら参加はできるということです。


よくできました!



損して得とれ、みんなと別の行動“コマ回し”はさせたけど、「ストップ」でやめる、先生の真似をするの指示にはきちんと従えました。



 さて、みんなのお遊戯の練習も一曲で終わり、今度は床に座ってお話を聞くようだったので、私は、これはみんなの近くで大丈夫ではないかと判断し、○君をみんなの近くに誘導しました。


もちろん、お話を聞くのは難しく、結果的に不適切な言動か、みんなとかなり違う動きを見せるだろうと思ったので、担任の先生に背を向けて、また二人で“コマ”。



動きがあるワサワサした状態ではなくなり、環境のハードルが下がったので、「集団の近くにいる」という意味ではハードルを上げたのです。



しかし、「やること」については、「話を聞く」はハードルが高いと判断し、“コマ”。



「なになに?」って興味をもって“コマ回し”をのぞく子もいたけど、「あたなはきっと先生のお話をしっかり聞けると思うな〜」というとすんなり先生に注目。この後も何度かこの方法で、他の子が○君に引きずられることはありませんでした。



 この“コマ回し”のときに○君は寝転んでやり始めそうになりました。私は、「みんな座っているから、○君も寝ないでやろう」と提示すると、その後1度も寝転ぼうとすることはありませんでした。


先生方からは、なかなかルールは守れないといういう状況も聞いていたのですが、彼の状態に合ったルールなら、難なくクリアできるということです。


 そしてもう二つルールを提示しました。


一つは、長い針が一番上になったら、“コマ”は終わり。


もう一つは、終わりのときには、私の分も“コマ”を片付けるというもの。「先生(私)は、どこに片付けるかわからないからお願いね」と伝えました。


彼は、時間になったら何も言われずとも“コマ”を片付けました。

 

 実は、事前にいただいた先生の指導計画には、片付けをしないという報告があったのですが。


次から次へみんなで遊んだものでなく、確実に自分が使ったものを予告されて片付けるのであれば、何の問題もなくできるということです。


私は、彼に「片付けてくれてありがとう」をいう機会に恵まれました。


 そのままクラスの流れにのって、ホールのポストに自分のお手紙を入れに行くことはできたけど、ポストに入れるという目的を達すると、帰りには、楽しそうにニコニコ笑いながらお友だちにドーンとぶつかっていきました。

ドドーっという人の流れが、過刺激となり、この行動を誘発したのです。

私は○君をホールの水槽見学に誘ってトラブルを回避。


廊下が少しすいてから、教室に帰してあげました。



 私が彼に対してやったことは、「先回り戦略」「環境統制」です。


彼が状況・情報処理できる環境とそうでない環境を選別し、力を発揮できる環境だけ提供しました。そして、みんなと同じクリア目標ではなく、彼のためのクリア目標を現場で次々設定しました。


つまり、地に足を着けて言動ができる環境を提供したということです。


次に、ルールを明確にし、事前予告で見通しを提示しました。



現実にプカプカ浮いている状況ではなく、主体的に状況にかかわる、地に足を着けた行動が、彼らをより大きく成長させるのではないかと。


子どもの年齢や状況、要因によって、かかわり方は違うので、どの子にも同じような対応がよいわけではありませんので、この対応をそのまま他の子にするのはNG。


そして、先生が1人だけなら、別の「先回り戦略」で。



 私が帰り際、園長先生とコーディネイターの先生にご挨拶をしていると、彼がどこからともなくやってきて、私の手の甲にチュッ!

先生方は、「何でしょう?」と私に尋ねられました。


私は、『ぼくの世界へようこそ』という紳士的な歓迎だったのではないかと、勝手な解釈をして帰路につきました。



長らく更新していなかったにもかかわらず、たくさんの方にご覧いただき、予想以上に応援いただき驚いております。一言御礼申し上げます。



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プライドの種を蒔く。

2007/10/13 08:52
 リソースセンターoneには、学生さんが実践経験を積むための、指導者養成学生サークルseedsがあります。学校など現場に出ていきなり実践というでは、ご本人にも、なにより子どもにも負担が大きいのではないでしょうか。


seeesでは、毎月1回の実践と、年に数回の研修会があります。この研修会は、来週10月20日の土曜日に実施されます。これについては、学生さんならseedsメンバーに限らず、もちろん無料で広くご参加いただけるようにしています。


ここでは、子どもをどうとらえるかや知識、方法のほかに子どもにかかわる醍醐味と責任についても、お伝えしているような気がします。これは、大学院の講義でも同じこと。



 発達に偏り、苦手のある子どもの成長は、そうでない子に比べ、環境や対応に大きく左右されます。つまり、彼らに一時でもかかわるということは、彼らを未来につなぐ醍醐味とともに責任を負うことになるわけです。


私がその醍醐味と責任を認識すればするほど、それがことばの端々に、表情に、身振り手振り表れるようです。



 ところで、私の講演会や研修会にたびたび足を運んでくださる先生方がいらっしゃいます。私はそんなつもりでお話はしていないのですが、なんでも、「明日からやるぞー」って元気が湧いてくるからといってくださいます。「注射だ」という声もお聞ききました。


話の内容は、基本的に子どものことを話させていただいており、直接的に先生方にエールを送るものではないと思います。それでもそう思っていただけるのは、たぶん、どこか先生方のプライドをくすぐるのではないかと思うのです。


怒涛の日々で忘れがちな、「私は子どもを未来につなぐ大事な仕事をしていたのだ」という。そして、「何かできる!」とモチベーションをあげていただけるのかもしれません。



 学生サークルseeds。その名のごとく、実践の醍醐味と責任、つまり、実践者としてのプライドのちっちゃな種をちょこっとお渡しできるといいかなーと思います。


「プライド」とは、「めんつ」という意味ではありませんよ。子どもを伸ばすことが目的なのだから、その目的を果たせるのなら、誰の意見であろうと取り入れるのは当然。逆に内容を精査せずに権威や知識、know howに飛びつくということもないということです。


ちょっと偉そうなことを書いてしまっているでしょうか。気恥ずかしい感も…。


でも、軽度発達障害児教育実践という分野で十数年間、みなさんよりちょっぴり長めに実践を続けている者として、子どもたちの未来に向けて、プライドの種を蒔く責任もあるのではないかとちらっと思っているわけです。



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私の責任・先生の責任

2007/10/07 20:41
 今は、学校や自治体などの外回りが仕事のほとんどになってしまいましたが、私はもともと実践者です。ということは、私が直接担当する、軽度発達障害をもつといわれている子どもを伸ばす責任があるということです。


ちなみに、「伸ばす」=できないことをできるようにさせるという意味ではありません。このことについては、またいつか機会があれば。


 子どもにいらぬ不適切な言動、パニックを起こさせたり、子どもを最大限伸ばせないということであれば、それは私に問題があるということです。


また、個別指導計画の評価は、子どもの評価ではなく私自身の評価。芳しくない評価であるとしたら、真摯に受け止めなければなりません。


さすがにたびたび自分の力のなさに直面するのは辛いので、子どものためばかりでなく、自分のためにも自己評価と反省を繰り返してきました。
もちろん、目標の設定を低めにすれば、評価は悪くなりようがないのでそれは論外。



 さて、特別支援教育で軽度発達障害児が対象とされたことによって、通常級の先生方の責任範囲が広げられました。専門機関の実践者である私ほどシビアでないとはいえ、集団から少しはずれてしまう子を伸ばすことについても、担任の先生の、学校の責任が明確にされました。


先生方へのサポートが行き届いていない現状を思うと、お気の毒な部分はありますが、そう決まってしまいました。



 すぐに成果をあげられる現場もある一方で、ときに個別指導計画の評価の際、この子がどんなに不適切な言動をしたのかという報告もあります。


客観的に見れば、指導者の問題点の報告になってしまうのですが、この認識の浸透はこれからということになるでしょう。


逆にいうと、この認識の浸透が難しい場合に、成果が上がりにくいということもあるようです。特別支援教育が、知識やknow howの羅列では済まないということのあらわれかもしれません。



 ところで、私が現場に派遣される目的は、先生方のお役に立ち、できうる限り子どもにとってよい教育環境を提供することでしょう。


だとすると、子どもへの具体的な対応を通して、先生方が不快になられずに、ある部分意識転換の軟着陸をしていただくことも私の責任。


すでに転換してくださった先生もたくさんいらっしゃいます。しかし、いくつもの自治体、たくさんの現場とのかかわりの中で、広く見渡せば、私の力量ではこの任を果たすことは難しいかもしれません。


 責任の重圧を感じつつ、今はとにかく先生方のお役に立てるようにと。




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パニックへの対処法???

2007/09/30 21:30
 子どもが暴れたり、暴言を吐いたりしたとき、どうすればいいんですか?というご質問をよくいただきます。いわゆるパニックへの対応です。


そんなとき私は、「対処法を考える前に、パニックは起こさせてはいけない」とお話をします。


この子は暴れる子、逃げる子、ものを投げる子、暴言を吐く子、“そういう子”というところからお話が始まっていますが、パニックを起こすには、必ず理由があります。つまり、理由がなければパニックにならない。


パニックは本人にとって受け入れがたいこと、想定外の事態に直面したときに起こります。


叱られたとき、友だちが本人の受け入れがたいことを言ったとき、自分の思っていたもの、ことと違ったとき、本人のストライクゾーンをはずれたものを強要されたときなどなど…。彼らは、許容範囲がもともと狭い。


 パニックは、過敏性と思考の柔軟性の欠如から来る混乱です。そうは見えないと思いますが、自分の許容範囲外、想定外のことに対する不安や恐怖が、パニックとなって表れるということです。


彼らもかなり消耗すると思います。


パニックを起こさせることは、本人が安定して何かを吸収することへの妨げになります。おまけに、以前『脱:「慣れさせる」』にも書いたように、トレーニングと称して、慣れさせるために、パニックを起こすような状況をわざわざつくるのは、パニックの強化につながります。



頻回なパニックで、パニックへのバイパスが太く、強くなり、ちょっとしたことでもパニックへのスイッチが入りやすくなってしまう。


だから、パニックを脳に忘れさせる必要があるのです。脳は成熟するので、パニックを起こさない間に、過敏性や思考の硬直性は改善されていきます。自力で。


パニックが起こりやすい環境を提供され、成長を邪魔されても、それを上回る自力の成長によって、パニックを克服する子はたくさんいます。


しかし、子どもの特性によっては、頻回なパニックでそれが人格のように定着をしてしまうことがあります。



パニックを起こさせてからとめるのではなく、パニックを起こさせないためにどうするかを考えることが、彼らの成長の大きな助けになるということになります。



 「パニックへの対応」、それは、起こさせてからとめるという後追い対応ではなく、パニックになる原因・刺激をどう排除するかという、パニックを起こさせない先回り“戦略”です。


 もちろん、努力してもパニックの原因をすべてブロックできるわけではないから、対処のセオリーはあります。


ご質問に対しては、起こしてしまってからの対処もきちんとお話しています。


 「先回り戦略」については、またいつか書くことがあるかもしれません。





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「健やかに」への願い

2007/09/26 22:22
 私はよく、「健やかに」ということばを使ってしまいます。このブログでコメントをいただいた方にも、このことばを使わせていただいたと思います。これは社交辞令ではなく切なる願いです。



 発達に偏りのある子については、「健やかに」育つということがなかなか難しい。それは本人の問題というよりは、マイノリティーである彼らのことがわかりにくいという周囲の問題によるところが大きいのではないでしょうか。

 

軽度発達障害を持つ子のほとんどは、彼らの特徴やそうなってしまう事情を知って、その子に合った環境と対応があれば驚くほど伸び、中学生以降、急激に不適切な点は目立たなくなります。そして子どもによりそのありようは様々ですが、客観的な思考ができるようになります。



そうなる前に、トレーニングという名のもと変にいじったり、無理をさせたり、こちらの都合や思い・願いを押し付けたりすると、健やかな育ちから遠ざかってしまうということになってしまうかもしれません。


 
 素材の特徴を知って、肥料や水をやりすぎないように。マニュアルどおりの収穫時期を守って、熟していないのにもいでしまわぬように。甘みが強いのか、えぐみがあるのかなどを熟知して、ベストのメニューや調理法、調味料のチョイスでその素材として一番おいしい一品になるように。



力がないわけではなく、発揮させてもらえないことが多い彼ら。
トレーニングではなく、その子にあった無理のないハードルを当たり前に越えさせ、「やったね」ていう気持ちを共有できる味方がいれば、彼らは心豊かに育ちます。そして伸びます。




 彼らの特徴に歩み寄って「無理のないハードル」「当たり前に越えさせる」が保障されにくい現状を考えると、直接かかわれる環境にないお子さんについては、「健やかに」を願わずにはいられないのです。




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いつもここから★教育用語では…。

2007/09/23 00:10
  二次障害にからむお話は、気持ちが沈むのでいったんブレイクを入れたいのですが、前回の記事で医療についてだけ書いたままなので、高機能広汎性発達障害いわゆる自閉症が見逃される「もっと強力な理由」について。


 私は、講演会や講義などで「いつもここから」って感じでお話している話題があります。
今更…と思われがちな「LD・ADHD・高機能広汎性発達障害の特徴」から確認をしています。
ポイントは、「LDには、社会性・行動上の問題はない」「ADHD=多動ではなく、対人理解の質的な問題もない」というものです。ADHDについては、またいつか。


最大限子どもを伸ばすということなら、起こっている現象に対するknow howの羅列ではなかなか難しいでしょう。


「なぜそうなるの?」ってところを脳機能の視点をもって、要因をふまえるということが合理的であることは以前に触れました。もちろん、要因は間違えないように。同じような問題に見えても、要因が違えば対応が違う。


要因を考えるためには、軽度発達障害のそれぞれの特徴を知っている必要があるでしょう。


 そこでまず整理させていただいているのがLD。LDには、心理学をベースにした教育用語としてのLD( learning disabilities )と、WHOのICD-10やアメリカの精神医学会のDSM-Wなど医療の診断基準にのっとったLD( learning disorders )があることは、ご存知の方も多いと思います。


違いは、教育用語では「聞く・話す・推論する」が含まれ、間接的にコミュニケーションの問題を含んでしまっているということです。


 もう何年も前に、「非言語性LDのほとんどは、高機能広汎性発達障害」という医療からの指摘もありました。その後に文科省がまとめたADHDや高機能自閉症(文科省ではこの用語を使っています)については、DSM-Wが参考とされました。



 教育用語のLDの「聞く・話す・推論する」がうまくいかない要因については、ADHDや高機能広汎性発達障害の脳機能の特徴でほぼ説明することができると思います。


 教育現場は、医療との距離より心理との距離が近く、心理をベースにしたこの教育用語の「なんとなくLD」がぼんやりと浸透しています。また、現場には心理の専門家が、スクールカウンセラーや心理相談員というかたちで入ることが多い。


高機能広汎性発達障害の状態像が、なかなか浸透しにくい現状があるというわけです。


自閉症の親の会の保護者の方々など、具体的に教育現場での適切な対応を阻まれるという不利を被る方々の、この混乱についての憤りをお聞きすることも少なくありません。



 現場の先生方に軽度発達障害のそれぞれの特徴を知っていただき、高機能広汎性発達障害の想像力の障害、社会性認知の低さ、そうは見えないけどパニックなど、現場で見逃さずに適切な対応をしていただくことで、彼らの未来が大きく開けると思うのです。


現場こそ、LDについては、医療の概念を採用した方が要因に迫りやすいと思うのですが。
医師が医療の概念を支持するのではなく、実践者が医療を支持することには意味があると思います。



 実はこの混乱、適切に対応してもらえないのは、広汎性発達障害をもつ子ばかりでなく、社会性には問題がなく、読み書き算数(計算)だけに問題がある本物のLDの子も。怠学という対応をされ、二次障害である非行へというケースは少なくありません。


 こんな子どもたちにいくらでも会ってきたので、これを繰り返したくないという思いで、もう5年くらい「いつもここから」のお話になってしまうわけです。講演時間がたりなーい!
早く浸透してくれるとありがたいのですが、私如きの地道な活動ではペースはゆっくり。


ちょっぴりいやになっちゃうけど、それでも確実に浸透はしてきているので、もう少しはがんばれるかなー。教育の体制にかかわるようになって、だいぶ気が長くなりました。

あきらめたら終わりだから。



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見逃される理由

2007/09/19 00:08
 前回の記事で、高機能広汎性発達障害いわゆる自閉症が見逃され、彼らの思考の特徴に適さない対応を受け続けた結果、深刻な二次障害に陥るケースはあとを絶たないということを書きました。


中学校段階以降に当センターにたどりついたケースで、「なぜこうなるまで・・・」と残念な気持ちでいっぱいになることがあります。



 見逃される理由はくつかありますが、以前書いたように、医療が請け負う“診断”もその一つです。


軽度発達障害についての専門性を持つ医師不足は言われて久しく、医師の中に高機能広汎性発達障害の状態像が浸透していないということが大きいかも知れません。


知的障害を伴うお子さんを専門としてきた医師の中には、前回書いた自閉症者で翻訳家のニキ・リンコさんのような知的に標準域以上で、傍から見て困難がわからない状態像を診断できる医師は極めて少ないといえます。


また、軽度発達障害の子は、LD・ADHD・高機能広汎性発達障害の2つ以上が合併することが多いのですが、診断では単一診断名という原則も手伝って、今は医師によって診断がまちまち。


しかも、有名な軽度発達障害の専門医も、他機関でADHDと診断された子どもの8割は高機能広汎性発達障害といっていらっしゃるように、派手な言動があればADHDとされることが多いようです。


目立つ言動がなければ、診断がでないこともしばしば。



ということで、よくよく見てあげなければわかりにくい、地味な対人理解・状況理解の微妙なズレが脳機能に起因することは見逃されてしまいがちです。

 

また、集団での様子が、軽度発達障害の臨床経験の少ない医師には伝わりにくいということもあるかもしれません。



診断を受けに入っても、さまざまな理由で、適切な診断がでないという事が起こります。


以前の記事「障害児の見分け方???」にも書いたように、余裕のない教育現場では、残念ながら障害児とわかれば配慮が得られる可能性があるけれど、そうでなければ、「みんなと同じように」「叱る」「注意する」といった対応にならざるを得ないのが現状です。


彼らの社会性認知、対人理解、状況理解の弱さや感覚の混乱などへの配慮は得られず、二次障害へとつながるのです。



というわけで、まったなしの現場で子どもを伸ばすためには、ある程度の精度をもった「見立て」ができることが重要になるかもしれません。


けれど、なかなか現場に軽度発達障害の各特徴が浸透しない強力な理由が他にもあるので、私としては、地道にご説明を差し上げてまわっているという次第です。


厳しい状況に陥ってしまった子どもに会うのは辛すぎるので。



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それはパニックです。

2007/09/13 22:35
 5年くらい前、園や学校などにお伺いし始めた当初は、「軽度発達障害の理解と対応」的なお話をするかたちが多かった研修会も、再訪問、再々・・・訪問が多くなり、初回の「お話」で基本的な知識と対応について先生方と共有したうえで、ケース会議というかたちでかかわることができるようになってきています。


私にとっては喜ばしいことです。
だって、生身のA君について現場でどうするかを考えるのが本職なのですから。そして、今日のA君に、明日からちょっとだけかもしれないけど、違った学校生活が待っている可能性を思うと、特別支援教育の行く末について、ため息交じりの私もちょっぴり元気が出るのです。


 そんなこんなで、学校や園にお伺いしているわけですが、どこへいっても必ず毎回あがってくる子どもの特徴があります。集団の場ですから、周りが「参った〜」と思ってしまう特徴です。


それは、「自分の思うようにいかなかったり、他者から注意を受けたりしたときに暴れる、暴言を吐く」という類のものです。


一般的な視点で見れば、「わがまま」「我慢がたりない」「わざと」と思われるかもしれません。勉強されている先生は、ADHDの衝動性と思っていらっしゃることもあります。ADHDの衝動性については、このように誤解をされることも少なくないので、いつか機会があれば書いてみたいと思います。


 これは、「パニック」です。アスペルガーなどの高機能広汎性発達障害、いわゆる自閉症をもつ子の中に、このような派手な行動に至ってしまう子もいます。そうでない子もいますが。


広汎性発達障害、いわゆる自閉症の特徴として、「情報・刺激の処理の硬直性」があります。だから、子どもによってはなはだしく、またはかすかに思考の柔軟性に困難があるというものです。


今回の例の場合、自分の方向性に横槍が入ったとき、上手にそれに対処するのが難しい。ましてや、「違う」「ダメ」「やめて」など、感情の入りやすい表現で横槍を入れられると、過敏に反応してしまいます。


パニックは、過敏性や思考の柔軟性の困難からくる混乱です。そうは見えないし、本人も気付いていないのですが、突然どん帳が降りてしまったことへの、先の見えない潜在的な不安・恐怖の表れです。



ということは、言って聞かせたり、叱ったり、もう怒らないって約束させたり、目標にさせたりすることが、支援にはなりにくいことがご理解いただけると思います。本人は、うまく情報・刺激の処理ができず、大混乱になっているという彼らの事情がわかれば、このことについて、本人に必要以上の努力を要求するのは酷ですよね。どうするかは、いつか機会があれば。



 残念なことに、高機能広汎性発達障害が見逃され、適切な対応がなされずに二次障害を招くケースがあとを絶ちません。本当の意味での専門医の診断が出る状態像と、教育・心理の場で高機能広汎性発達障害だと思われている状態像に大きな隔たりがあるからです。


自閉症者で翻訳家のニキ・リンコさんの講演会に足を運び、彼女のたたずまい、話す様子を見て、彼女が自閉症であるとは思わない方も多いのではないかと思います。ちなみに、彼女のパニックは目立つタイプのものではなかったようですが。


彼らの自閉症が見逃され、彼らの事情が葬られることのないように、先生方が対応に苦慮されることがないように、お役に立てれば幸いです。



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運動会がやってくる〜!!

2007/09/08 23:40
 今日は、新幹線にのってある地方に行ってまいりました。ここ何年かは、自治体や親の会からのご依頼で、地方に出向くことがあります。ほしい専門性や人材をその地方でまかなうことが難しければ、適当なところでお茶を濁さずに外から呼んでくるという柔軟性はあった方がいいかもしれませんね。お役に立ててているとよいのですが。


 さて、9月に入りました。そろそろ我がリソースセンターoneに通う子のなかにも、調子を崩す子がちらほらと見える季節です。


 今は外に出向くことが多く、できなくなってしまったのですが、私も数年前までは個別の学習指導もしていました。学校が終わってからやってくる子どもたちのなかに、「疲れた〜」とタコのようになっちゃう子や、妙に不機嫌な子がいたりするのはこの時期です。ちなみに、疲れるのは、体だけではありません。


この原因は「うんど〜かい」です。「運動会」。



運動会の練習や本番は、拷問に近いものになってしまう子がいますよね。


 本人はきちんと整理されないままに、いつもの時間割りを大幅にかえられ日によって日程がいろいろ。他のクラスと合同で、人が多くて刺激強すぎ。場所移動があり過ぎ。次から次へとやらなきゃいけないことが多過ぎ。とにかく混乱ぐちゃぐちゃ。


本番は、さらに人が多過ぎ。音がうるさ過ぎ。隊形が変わり過ぎ。そして、ストレス耐性の低さからよからぬ緊張をし過ぎ。


刺激や情報処理が硬直的な彼らが、パニックになって当然というお膳立て。ちょっとしたことで怒り出したり、イライラしたり、小さい子は単に嫌がっているように見えるけど、実は不安と恐怖で泣きわめいたり。このような出方をしない子でも、具合が悪くなったり、行き渋ったり。



 ある自治体との連携では、1校(園)について年間約20回もの訪問枠があります。この枠を個別指導計画立案、ケース会議や校(園)内研修など、いろんな用途で使っているのですが、来週から運動会に向けて、各子どもの参加スタイルについての戦略を練ることになっています。


 何もかもみんなと同じにできることに価値があるのではなく、その子の苦手な部分には、それに応じたハードルを設定し、無理なく越えさせることが成長へとつながるはずなので。


本人なりに充実した人生において、運動会に参加できることの重要度について多少の疑問は残りますが。



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障害児の見分け方???

2007/09/05 23:05
 今回もまたまた「よくあるご質問」について。「障害があるかどうかを見分ける方法を教えてほしい」というご質問も、よくあるご質問ベスト5くらいに入るのではないかと思います。


 そんなとき、「障害があるかどうか見分けることは、そんなに重要ではないのでは?」という主旨の答えをさせていただいています。私たちの仕事は、診断ではなく子どもを伸ばすこと。基本現場では、何度か言って聞かせて子どもが変わらなければ、工夫や配慮、ハードルを下げるなど、何らかの手立てが必要なのではないかとお話をします。


 見分けたい理由は、「わがまま」や「怠け」、「甘え」なら、叱る・注意をするという従来の手法をとるけれど、障害だとわかれば何らかの配慮をするという線引きのようです。


でも、逆に考えて、「わがまま」「怠け」「甘え」と思われる子が、『叱る』」『注意する』で変わるのかなーとも思うのです。もちろん、変わる子もいるでしょう。でもそうじゃない子も多いんじゃないかなー。


「わがまま」や「怠け」「甘え」などが目立つ子は、もともと脳内の「耐性」にかかわるシステムが、うまく機能しにくいという可能性もあります。軽度発達障害の各障害の特徴は、少なからず私たちにも個性の範疇として存在するもので、とてもねばり強い人もいれば、すぐに投げ出してしまう人もいる、温厚な人もいれば、短気な人もいる、思考が柔軟な人もいれば、融通が利かない人もいるなどなど、これらは環境要因だけでなく、生得的な特徴の影響もあるということです。


 だがら、かすーかにその傾向があるかも・・・という子は結構いるわけです。もともと、「耐性」に多少育ちにくい部分がある子に、叱ったり、注意したりを繰り返し、非行なども含む二次障害に陥らせているケースはこれまでにたくさんあったと思われます。


 特別支援教育の対象となる子の中には、診断がない子の方がたくさんいるのではないかと思います。数少ない専門医なら、診断を出すであろう微妙なグレーソーンの子も。障害のあるなしにかかわらず、子どもの特徴に歩み寄り、子どものよさを最大限発揮させる対応ができるといいなーと思います。


 なぜ、子どもの障害の有無を見分けたい先生が多いのか。たぶん、教育現場に余裕がなく、たくさんの子どもの特徴に歩みよるなんてことが困難なことと、伝統的な教育観によるものでしょうかね。教育行政には、現場の過重負担軽減のお願いと、現場には、伝統的な教育観の転換のお願いを・・・なんかお願いばかりしているよーな。


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『軽度発達障害』という“く・く・り”

2007/09/02 06:41
 我がリソースセンターoneには、何が問題なの?と周囲に思わせる子がかなりの割合で通ってきています。目立つ言動はあまりなく、勉強も結構できる子もいます。大概は、無礼・失礼、性格が悪い、変わってる、扱いにくい、融通が利かない、はなはだしく空気が読めないという感じの子どもたちです。


 軽度発達障害には、知的側面に関していくつかの解釈があります。@知的に標準域以上、A知的にボーダーライン以上、B軽度知的障害。当センターを利用しているのは、ほどんどが知的に標準域以上の子どもたちです。


こういう子どもたちでも、診断が出るようになってきました。ただし、軽度発達障害について、精度の高い診断ができる医師が不足しているというのは有名なお話で、都内でも片手分いらっしゃるかどうかというのが現状です。このことについては、またいつか機会があれば書いてみたいと思います。



 さて、現状の園や学校現場では、このような子どもたちを「障害」といわなければなりません。そうしなければ、適切な対応・配慮を求めることができないからです。


よく、幼稚園で保護者が障害を認めなくて困っていると先生からお聞きすることがあります。特に、家ではあまり問題がない場合が多い。そんな時、子どもによっては「この子は、きっと個性の範疇になっていくでしょうから、危険を冒してまで保護者の方に障害受容を迫らなくてもいいかもしれません。それより園で適切な対応をして、子どもの特徴と対応のヒントを保護者の方に返してあげましょう。」とお話しすることがあります。脳は成熟しますし。

 

 私が研修会や講演会でお話することのなかに、特別支援教育の鍵は「意識の転換」だというものがあります。一つは、「子ども観・人間観」の拡大。もう一つは「教育観の転換」です。教育観の転換についてはまたいつか。


子ども観の拡大・・・そうは感じない子がいる、そうは思わない子がいる、一般的に自然に見て学べることが学べない子がいるということです。


自分は努力をしなくても勉強ができるので、友だちのテストの点について「何でそんな点なの?」と不思議に思い友だちに聞いてしまう。その結果、相手がどう思うのか、自分にいじめなどのかたちでかえってくる可能性があるというところまで思いがいたらない。


このことに限らず、本人は「知らない」「わからない」「できない」「自分でもとめられない」なんていうことはよくあることなのですが、「わざと」「嫌み」「いやがらせ」「反抗」「怠け」など、悪意にとられることがほとんどのようです。


子ども観が拡大されれば、彼らを「障害」と呼ばずして、当たり前に必要な支援・教育がなされる方向に展開していくであろうと。というかしてほしい。



 彼らのような子どもは、上手に育ててあげれば、個性としてそれなりに社会で自分の道を歩んでいけます。しかし、現状では上手に育てるのが難しいため、もともとの脳機能のうまくいかなさではなくて、環境や対応が合わなかったために起こる心の問題(二次障害)を引き起こしてしまうことが少なくありません。これは、結構手ごわいです。二次障害についても、いつか機会があれば。


 
 ちなみに、知的障害やその他の、世間で「障害」と言われる状態についても、ことさらに「障害」という名前をつけなくても、その特徴に対して必要な支援が、自然に当たり前になされる心豊かな社会になるとよいですよね。



 私はといえば、社会を変えるような立派な活動はできないけれど、「障害」などといわなくても、彼らに必要な支援がなされる日をめざし、園や学校に「子ども観の拡大」をお願いして回る毎日です。道のりは長いと思いますが。



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「漠然としたあきらめ」ではなく「具体的な希望」

2007/08/29 22:48
 研修会や講演会での「よくあるご質問」のなかに、「保護者が障害を認めないが、どうすればいいか?」という類のものがあります。保護者が認めないから、必要な支援ができないというものです。でもそれって、本当にそうなのでしょうか。

 
 なぜ認めないのでしょう?認めない親が悪い!で終わらずに、認めない理由を考えるということで、少し連携がとれやすくなるかも。


理由はいろいろとあると思います。以前にも書いたように、環境刺激の少ない家では問題がないということもあるかもしれないですね。でも、特に子どもの社会性や行動面に不適切なものがある場合、保護者の方は幼児のときから、この子のよくなかったことを園や学校から伝えられます。「おうちでも気をつけてくださいね」なんて感じで。


子どものために、保護者の方自身のために、どうしたらいいかというアドバイスはなしで、「今日は○○君に手を出してしまいました」なんてあったことだけを伝え続けると、保護者の方は子どもと自分が非難されているように受け止めるということはないでしょうか。

こんなことが続いたら、園・学校は非難はするけど何もしてくれないって思うのも無理はないと思うのです。これが何年も続いたら、だれでも園・学校の言うことを聞こうなんて思えなくなりませんか?


このような状況の保護者の方に、「北風と太陽」の北風みたいに、これでもか、これでもかと子どものうまくいかないことを伝えて障害受容を促そうと思うのは逆効果。


そして、お宅のお子さんには障害がありますよという障害受容なら、子どもを伸ばすことにはつながりません。障害の有無などどうでもよいことで、子どもを伸ばすには、子どもの特性・特徴受容(理解)が大事だと思うのです。


 だったらどうする?
「今日こういうことがあったけど、こういう対応をしたらこんな風に以前よりよくなりました」ということを保護者の方に返しましょう。「こういうことがあったけど」とうまくいかなかった事実を伝えるけれど、子どもの特徴をふまえて、「こう対応したら」ということで、対応のヒントも伝えることができ、何より「うちの子成長してる!」と保護者の方が勇気をもって進めるお役に立てるかもしれません。


つまり、保護者の方の障害受容が先ではなく、まず現場で成果をあげることが先ではないかと。成果を保護者の方にきちんと返すことが大事だと思うのです。


保護者の方がどのような状態であろうと、現場でできることはあります。子どもの特徴を知ることで発想の転換ができれば、予算がなくても、人がいなくてもできることはあります。


保護者の方が変わるのは、「漠然としたあきらめ」ではなく、「具体的な希望」なのではないかと思うのです。



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専門機関に「つなぐ」のではなく学校に専門性を「入れる」

2007/08/26 23:59
 先日、学校現場と専門性の発揮についてコメントをいただきましたので、予告どおり今回は現場になぜ専門性を入れなければならないかということについて書いてみようと思います。

 学校に行くとかなりの頻度で、「専門機関につなぐにはどうすればいいか」というご質問をいただきます。このご質問には、2つのポイントがありまして、一つは「専門機関につなぐ目的」もう一つは、「保護者の方に特別な支援の必要性を伝えるシステム」です。


今回は、「専門機関につなぐ目的」について。

先生方が専門機関につなごうと思う理由は、たぶん「早く何とかしなければ」という早期対応と、もう一つは、専門機関に行けばもっとずっと集団適応のよい子になって学校にやってくるのでないかということでしょう。



 専門機関というと、大概は医療機関か療育機関を指すでしょう。医療機関の利用の大きな目的は、診断とお薬の処方ですね。具体的な対応の方法についての説明を期待される方もいらっしゃるかと思いますが、よほど臨床経験のある日本で数人のドクターでなければ、この期待には応えてくださらないでしょう。というより、それを期待して医療機関に行くというのは、基本的にはお門違いということになるかもしれません。


医療機関の利用は、診断がでれば思考の整理ができる、または行政的に子どもに必要な支援が得られるといった場合か、適切なお薬の処方があれば、余計な、不適切な言動が減り、子どものもつよさをもっと発揮でき、子どもの心も育つという場合には有効でしょう。


 療育機関が本当の意味で効果を発揮するのは、学校や園など子どもの活動のベースで、本人や周りに大きなストレスがないという状態で、スパイスとしては効果抜群だと思います。しかし、園や学校が全く本人に歩み寄らないで、本人だけに変わってほしいと願い、本人にとって環境が厳しいものであれば、学校や園がのぞむような効果は期待しにくいといえるかもしれません。

療育の場面でよくなったからといって、それがそのまま学校や園で発揮できるかというとそれは難しいことが結構あると思います。なぜなら環境刺激のハードルが学校や園と療育現場では、天と地ほど違うからです。当然学校の方がハードルは高い。

療育従事者としてシビアに療育を見たとき、療育は、療育現場では成果が出て当たり前なのです。だって、園や学校に比べ、少ない頻度、短時間、少人数、専門性を持つ療育者、子どもにあった課題、伸びて当然ですよね。

療育者は自分の手柄のように思ってしまうこともしばしばですが、自分たちには効果が出やすい環境が提供されているという自覚が必要かもしれません。



 学校や園では、広い建物、たくさんの人、たくさんのノイズ、子どもからの刺激、次から次へとこなさなければならない課題などなど、情報処理が難しい彼らに押し寄せます。家では差ほど問題はなく、学校で問題が出てしまうのはこのためであることが多く、先生の対応が悪いからと保護者の方に思わせてしまうことがあるようです。


 さて、保護者の方の意思のもと、専門機関にいけることはのぞましてことですが、環境刺激のハードルの認識があると、保護者の方との軋轢を激化させる可能性をひめながら、今、何が何でも・・・と考えるほど、専門機関の利用はどうしても必要なことか?ということになります。

 
療育で集団適応ができる子になって帰ってくるのを期待するのではなく、学校や園で、周囲の子との兼ね合いも考えながら、その子に合った環境刺激や課題のハードルを提供し、不適切な言動を減らしていくことが得策といえるでしょう。

そのために、外に活路を求めるのではなく、学校の方に専門性を入れて、子どもを伸ばすという点で実績を積んで保護者の方に返してあげましょう。こんな風に対応したら、こんなによさが発揮できましたって感じで。そんなに劇的に変わらないまでも、以前よりこんな風によくなりましたということでいいと思います。


 私がかかわっている知的障害を伴わない軽度発達障害児に関しては、早期対応(トレーニング)ではなく、早期理解(脳機能の視点をふまえた特徴)が有効だということがいえるでしょう。だから、「専門機関につなぐ」ことを必要以上に焦らなくてもよいと思っているわけです。



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育ってる!でも先生になると・・・。

2007/08/23 21:26
 大学院の集中講義で、うれしい収穫がありました。夏季実践者講座同様、この講義でも個別指導計画の立案がテーマで、大学院生も個別指導計画を立てました。その指導計画の中に、初めてにしては、なかなかいいじゃん、というものがあり、これが、当センター指導者養成サークルseedsのリーダーの立案したものでした。


 指導者養成サークルseedsは、リソースセンターoneがスーパーバイズする学生サークルで、このサークルのリーダーは、当センターに大学2年からかかわり、現在大学院生なのです。これまで、彼女は、当センターの療育にはボランティア的にかかわってきて、個別指導計画など立てたことがないのに、結構子どもを見る視点がよいのと、子どもの脳機能の特徴の仮説について、彼女の頭の中でわりと整理されていることが見て取れました。


育ってる!!
当センター4年目の彼女。やっぱり私が何となく想定したとおり、5年なのです。現場で、理論の裏づけを取りながら5年やれば、たぶん、自力で実効性の高い個別指導計画が立てられ、それなりの指導ができる力が培われる。


彼女が大学院を修了するときには、実践の専門性を身につけ、子どもや先生方に本当に役に立てる人材になってほしい。


 ただ、学校の先生になることを手放しでは喜べないのです。先生になると、この専門性が封印されてしまうのです。学校は、年功序列。高い専門性があっても、教師として新米なら、その専門性を発揮する機会を与えられる可能性はかなり低い。

新米教師が、先輩の先生方にアドバイスをするという立場になるということは考えにくいのです。実際に、そのような例がありました。かなりの力を持っていたのに・・・。

 今、教育現場で苦しんでいる子ども、そして先生がたくさんいます。そして、以前にも書いたように、実践の専門家が足りない。子どもはどんどん年を重ね、待っていてはくれません。できることなら、一人残らず健やかに育てたい。封印などしている場合ではないのです。


「心理」の資格を条件にすることなく、このような実践の専門性を活かす専門職を機能させなければなりません。私自身も、自治体との連携をとるなか、実効性の高いシステム構築のために、自治体に手を変え品を変えアプローチしております。

どこかが機能的で成果の上がるシステムを作れば、真似してくれるのが行政だから。



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ずがれだ〜★実践のマニュアルづくり

2007/08/21 22:20
 やっと夏季実践者講座と大学院の集中講義が終わり、今日は、肩こりで頭痛とかすーかな吐き気に見舞われつつほっと一息です。


 実践者講座は、「実効性の高い個別指導計画の立案」というテーマで実施しました。先生方には、事前に私の方で作成したアセスメント(状態把握)表に、ご自分の担当の子どもの情報をご記入いただきご持参いただきました。

 
 
 1日目、軽度発達障害児指導実践概論と個別指導計画立案概論の後、アセスメント表の不適切な言動の要因分析をしていただき、その後こちらで用意した個別指導計画の書式で、先生方に指導計画を立案していただいてご提出いただきました。


 普段学校や園でやっているのと同じように、私の方で指導計画を修正して仕上げ、2日のケースカンファレンスで、細かい点の確認と修正について私の方からご説明差し上げるという流れで、出来上がった指導計画は、学校にお持ち帰りいただき、2学期に活かしていただくというわけです。


 今回の講座では、テキストの作成で脳みそが雪崩になるかと思うくらい大変でした。その理由のひとつに、脳機能の視点をふまえた要因分析のマニュアルを作成したということがあります。脳機能の視点といっても、私は脳の専門家ではないので、情緒的な要因分析ではないという意味です。

たとえば、「図工の作品が思うように作れず、ぐちゃぐちゃにしてしまう」というのは「プライドが高い」という情緒的要因ではなく、もう少し踏み込んで生得的な視点で要因を考えるというものです。ちょっと説明が大雑把ですみませんが、数ヵ月後には、このマニュアルをまとめて必要な方のお手元にお届けする予定です。


以前にも書きましたが、なぜこうなるのだろうという詰めが甘いと、ハードルの設定も、方法の選択も本人に合致したものにならず、指導成果がちょっと・・・と思っています。似たように見える問題でも、子どもによって、生得的な意味で要因はさまざま。たとえば、おなかが痛いという説明だけで、ぴたりと治るお薬を処方するなんて至難の業ですよね。原因も特定しないで。


 実は、連携している学校や園には、それなりにマニュアルをお渡ししていたのですが、どうも、私が修正させていただく率が80%くらいになっていたので、もっと精度の高いものが必要だと思っていたのです。

たとえば、ADHDの特徴として、「プランニング」というカテゴリーを作っているのですが、この中に、「順序だてて考えることが困難」という程度の抽象度の項目で記していました。これに今回は、これまで現場からいただいた、子どもの極めて具体的な言動を当てはめて作り直した結果、巻末付録として、LD,ADHD,高機能広汎性発達障害で、A4サイズで10ページになってしまいました。つかれたー。まだまだ、増える予定です。

ちなみに、テキスト本文は40ページ程度でした。


 でも、うれしいことに苦労した甲斐あって、今回の講座では修正率40%位になりました!!人知れずこんなところで達成感あり!の私でした。実践というマニュアルになりにくいものを、妥協して大雑把にせずにマニュアル化するって、本当に脳みそ爆発しそうな作業なんだなーとつくづく思いました。

 大変だったけど、頻繁な専門家の介入がなくても、学校現場でそれなりの精度の個別指導計画が立てられるようになれば、助かる子が一人でも増えるかもしれない。私のつたないマニュアルが、必要な方にお届けできるように、もうひとがんばりするとしましょう。 



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個別指導計画★子どもにフィットするオーダーメイドで。

2007/08/17 23:08
 夏季実践者講座の準備で何だかんだとあって、かなり投稿間隔があいてしまいました。もう少しゆったりとブログが書ける日が来るのを切望しています。忙しい忙しいということ自体、いろんな意味で力量がないってことの暴露で、かなり恥ずかしい状態ですが、今は結構いっぱいいっぱいで、本当のことを隠す余裕もありません。



 というわけで、いよいよ明日から2日間夏季実践者講座が始まります。先生方は、この酷暑の中、かなり高額な受講料を、たぶん自己負担で参加されます。本当に頭が下がります。
きっと私にはできない・・・。

 これまで約10年間、個別指導計画をつくってきた実践の蓄積を、きちんと先生方に提供せねば、と気持ちはかなり引き締まります。結構プレッシャーですねー。



 しかし、先生方がすばらしいとばかりも言っていられない。こんな講座は行政負担でやったらどうなんだろうと思ってしまうのもまた事実。今、にわかに「個別指導計画立案」について自治体からの講演依頼は増えていますが、2時間程度で何を伝えれば・・・と頭を悩ますことしばしばです。

 

リソースセンターoneの講座も、かなりのダイジェスト版で2日間、10時間程度はかかります。
そんなに簡単なもんじゃないんだけどなーと思ったりもしちゃいます。たぶん私が簡単につくるやり方を知らないのだと思いますが。


 個別指導計画立案は、かなりの集中力を要する結構大変な作業なわけです。2時間くらいのケース会議で立案できると思っている現場も結構あり、そのような依頼も来るのですが、ただあーだこーだ思いつくままに話し合っただけじゃ、きちんと子どもにフィットしたオーダーメイドの指導計画を考え、書面にするには程遠い。実は、このあたり、自治体や学校と私の間にズレがあり・・・。



 もちろん、短時間でできるだけクオリティーの高いものを立てるよう秘技を駆使しているのですが、先生方は、「みんなで一緒に」というのを結構好まれます。でもそれだと、わいわいがやがやで終わってしまうんですよねー。わいわいがやがや方式ではなく、秘技を使う理由を説明するのも結構大変です。



 今年度は個別指導計画がどのようなものが、どのような段取りで立案するものなのか、お伝えするということに意義を見出すことになりそうです。


 そろそろ次回は個別指導計画じゃないこと書きたいなー。



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個別指導計画立案テキスト作成中で〜す。

2007/08/11 22:37
 お盆だというのに、まだまだ仕事は続くのです。7月いっぱいで園や学校訪問のラッシュが終了し、8月の頭にリソースセンターoneの行事と大学院の集中講義の1回目が終わったかと思ったら、息つくまもなく、夏季実践者講座の個別指導計画立案のテキストの仕上げです。


 このブログの紹介に使っている写真は、我が家のベランダからの風景で山里住まい。もともとそんなにこんを詰めて仕事をするのではなく、豊かな自然のなかでの充実したプライベートをいい感じで仕事に活かす生活をするはず、いやしていたのですが、少々バランス崩れ気味。

今は子どもたちのために、できることをやらねばならない時期。無理をするとクリエイティビティーがなくなるし、ちっょっとスマートじゃないなーと思いつつ、ヘロヘロになりながらなんとかがんばってます。


 テキストは、どこかから持ってきたknow howの紹介ではなく、これまで実践で培ってきたものをまとめたものなので、かなりの生みの苦しみが・・・。何とか先生方のお役立ちたい。


 ちなみに、講演会などでお話する内容も、基本的に実践で培ったものを私なりに整理してお話ししているので、パワーポイント1枚つくるにも全力投球です。その方が、先生方や保護者の方に対して、説得力あるかなーなんて思ったりして。


 もちろん、論理的な裏づけはとっているつもりですよ。


個別指導計画立案のテキストは、
・個別指導計画立案の目的
・特別支援教育で求められる意識の転換
・見立ての仕方と重要性
・脳機能の視点をふまえた要因の分析
・アセスメント表の書き方
・個別指導計画の目標の設定の仕方
・支援の手立ての導き出し方
・評価の仕方

などを整理してまとめたものと、アセスメント表と個別指導計画の書式がとじられています。


 ブログを書いている場合ではないので、今日はこのくらいにしておきたいと思います。
 


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特別支援教育★おまけ:専門家の影響

2007/08/09 23:51
 昨日投稿したばかりなのに、また今日も。ブログを書くのは実は結構大変で、「書きたい!」ではなく「書かねば」ということで続けています。できれば、サボらない程度に日にちを明けつつ、と思っているのですが、今日は書かなければならない理由が。 昨日の投稿で、とんでもない間違いが発覚したからです。!


 昨日のブログの中盤で、『世の中では、「心理の専門家=発達障害、軽度発達障害の専門家と認知されてないなようですが、実は違います。』と書いてしまったのですが、「認知されていないようですが、」ではなく、「認知されているようですが、」が正しいのです。反対です。!これでは意味不明。読んでくださった方?????ですよね。すみませんでした。すでに本文は訂正しましたが、ここでもあらためて訂正させていただきます。



 さて、せっかくの投稿ですので、訂正文だけで終わるのもどうかと思い、もう少し書いてみます。

 
専門性という話の流れでおまけ程度に。


発達障害というくくりは実は範囲が広いものです。そのため、発達障害というくくりで、軽度発達障害の分野ではない点や事例についてご質問をいただくことがあります。心理の専門性を持つ方にも同じようなことがあるのではないでしようか。ご質問くださる方は、細かい専門性の分類など当然意識はされていないことでしょう。


そのようなときに私は、「専門外であるのでわかる範囲で」というような前置きをしたり、そのことの専門性を持った方をご紹介するなどしています。


苦手・困難をもつ子どもに断片的にでもかかわるということは、その子の人生に影響を及ぼす可能性も高くなります。専門分野が近接しているということで、専門外のことについても、まるで専門であるかのように対応してしまうことの、子どもに対する弊害をたびたび目にします。


そのようなことに遭遇するたびに、専門家といわれる人は、自分の影響力と責任についてしっかり認識しておく必要があるなーという思いを強くしたりします。



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