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軽度発達障害児支援現場レポート―実践者のつぶやき―
ブログ紹介
このブログは、LD,ADHD,高機能広汎性発達障害(高機能自閉症・アスペルガー症候群ほか)などの軽度発達障害児・者をめぐる出来事、問題を指導実践の視点で綴るブログです。
彼らの当たり前の幸せに向け、健やかな成長を支援するために、彼らの独特の感覚・思考に歩み寄り、心を通わせることの大切さをベースに記したいと思います。
また、自治体や学校などの公的機関と連携をとる中、特別支援教育など、支援システムについても、より実効力のあるシステムの構築を願い、民間の切り口で書いてみたいと思います。





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特別支援教育☆先生の涙

2009/06/30 05:58
 なんと!3か月ぶりのブログになってしまいました。2009年度はじめての記事です。

今年度は昨年度に引き続き、ある自治体のある幼稚園とその子どもたちの大半が進学する小学校に計約160時間程訪問することになっています。また、この自治体では、これも昨年に引き続き、月に2回乳幼児の発達相談も担当しています。

新規には、別の自治体の保育園数の三分の二に、年2〜3回の巡回研修スーパーバイズと講演会、事例検討研修数回を担当することになりました。

このほか単発のご依頼で、今年度の日程のほとんどがうまったかたちとなっています。



 さて、幼・小合わせて約160時間赴く自治体でのこと。前回の記事では、この自治体の小学校への訪問を題材に、小学校での特別支援教育の展開のゆっくりとした歩みを書きましたが、今年度は体制も変わりいい感じで進んでいます。


そして! 幼児のころに特別支援の対象だった3名中2名が、今年1年生にあがり特別支援枠から外れました。


私が園にお伺いするようになって2年、園の先生方が必死に苦しい意識転換をして独自の発達を保障した子どもたちです。本当にお見事。伸ばして当たり前、先生方を誰もほめてはくれないのでここで私が。
園一丸となってのすばらしい支援。本当に頭が下がります。


この子たちが年中のときに担任だった先生が育児専念のため退職され、現在は支援員として時々園にいらっしゃいます。先日現担当クラスケース会議にご参加いただいた後、私から、「○○君と△△ちゃん、特別支援から外れたこと、お聞きになっていますか?」とお話しすると、急に無言で顔を覆われ、大粒の涙を流されました。
そして、そのあと「ありがとうございます」と深々とお辞儀をされました。

私は、「こちらこそ、先生方のおかげです。ありがとうございました。」とお礼を申し上げました。


思いがけず、先生方の子どもに対する思いがあふれでた瞬間に触れ、幼・小一貫の巡回支援にかかわらせていただける感謝と、責任を痛感した出来事でした。



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小学校の特別支援教育この一年

2009/03/23 07:09
 今年度も、リソースセンターoneの仕事よりも様々なところにお伺いすることの方がずっと多かった1年でした。


ことに、年間相当数伺う、今年でかかわり2年目の幼稚園と、その子どもたちの多くが入学する、今年度からかかわった小学校の一貫特別支援では考えることの多い1年でした。


幼稚園については、極めて有能な特別支援教育コーディネーターの先生を中心とした申し分ない体制で、私自身が驚くほどの成果があがり、講演会や論文、本などにその実践を紹介して間接的にでもこの園以外の現場にお役にたつことができたように思います。


園の子どもたちを2年間継続で見ることができ、他の子と大きく変わらない程成長を見せた子どもたちに対し、育て上げた感を幾らかでも実感しながら小学校へ送り出すという感慨深い年度末となりました。


また、小学校の特別支援にもかかわることができたおかげで、今回初めて幼・小の申し送り会議も実施していただいて、かたちの上では一貫支援の第一歩を踏み出すことができました。



 さて、小学校の特別支援教育は、戸惑いの中一喜一憂しながら1年が終わったというところでしょうか。

有能な支援員を配置して一年生となった子どもは、意識・内面の成長が著しく、ひとまず成功といえるでしょう。
ほとんど支援体制がないところから、2学期から学期に1回の支援検討会がもたれ、リソースルームの設置もしてくださり、園同様、担任の先生と何度か打ち合わせをして個別指導計画も立てました。来年度から特別支援の対象とした方がよい子を決める校内委員会ももたれました。



ある視点から見れば成果があったようにも見えます。
しかし、私としては惨敗を認めなくてはなりません。



その理由は、先生方と肝心の理念の共有ができなかったから・・・。


幼稚園では、ケース会議に園長先生、コーディネーターの先生、担任、支援員さんが必ず参加し、個々のケースを通じて、先生方は苦しみながら驚異の速さで子ども観・保育観の転換をしてくださいました。

コーディネーターの先生をして、「今までの保育は何だったのか」といわしめた程の大転換だったのです。

みんなとは違う発達の道筋をとる子に対し、集団の中でその子の“独自の発達を保障する ”ことの必要性をご理解くださり、そして、それが自らの責任であることを引き受けてくださった。

これが特別支援教育の理念だと思っています。

特に「責任」・・・できたらやるけど・・・ではなく、やらねばならぬ。



しかし、残念ながら小学校ではこの転換の機会をつくることができませんでした。

学校には、昔からいわゆる特殊学級(現特別支援学級)と通常級が存在しました。このシステムは幼児教育には基本的にありません。学校では、いわゆる“普通”と“普通以外”を分ける基準の優先順位として、@集団行動A学力というものがあり、このどちらか、もしくは両方においてある一定の基準から外れた子は、通常教育の責任外となってきた長い長い歴史と伝統があります。


学校が子どもたちに合わせて変わるのではなく、通常級とはこういうところで、それに合わない場合は、子どもが別の所へ行く。知的に遅れのない子であれば、病院か療育機関へ。そのためには親の理解が必要、という発想。
だから、学校で事を起こさせない「先回り対応」は、現在のところ銀河の果ての発想。



また、たとえば脳機能の未成熟による欲求のコントロールの微妙な困難や脳機能の特徴による想定外・許容範囲外の事象についてのパニックはいわゆる「わがまま」とされ、伝統的な教育手法である「叱る・褒める・慣れさせる」による対応が定番でした。

先生方の構成により、この意識が強い学校もあれば、そうでもない学校もあるでしょう。


このような歴史と伝統に裏打ちされた教育観の転換は、並大抵のことでは難しい。
でもその転換がなければ、苦手のある子を健やかに育てるのは難しい。



しかし、学校は生き馬の目を抜くような忙しさ、なかなか先生方とこれを共有する時間がとれない。
先生(上原)と話したい先生はいっぱいいるのだけれど、時間が・・・というお話を何度もいただきました。


小学校では、幼稚園のように、先生方と私が一体感をもって支援にあたることは難しかった。
先生方はみな子どもを伸ばそうと一生懸命です。先生方と私が対立しているわけではなく、あくまでも理念の共有という意味で、同じ方向を向いているように見えて、実は根本がズレているという感じ。



そんな現場の現状とは裏腹に、この自治体では来年度から巡回時数がまた増えます。
時数を増やすだけでなく、先生方がケース会議に割ける時間の確保の体制を整えることも併せて行わなければ、絵にかいた餅。

ケース会議の時間の確保だけでなく、先生方が心の余裕をもって、意識の転換にのぞめる勤務体制もほしい。
まぁ、ないものねだりですが。



そんな中、今年度の私の救いは、この小学校のある先生の変化。


園も学校も、基本的に前期・後期に個別指導計画を立てることをコアとしてスーパーバイズをしているので、小学校の場合、対象児の担任の先生以外の先生とお話しできるのは、月一回あるかないか。

3学期の中盤、言動が目立つ子を数人含むクラス運営を相談にいらした先生は、私との話のあと、「すっきりした〜」「あぁ〜、もっと早くお話できればよかった〜」と言われ、職員室でこぶしを突き上げ大きな声で、「あしたから私は変わるぞ〜!!」と雄叫びをあげられました。


来年度、小学校では巡回の仕方を変えよえかと思っています。
私が個別指導計画立案に関与するかたちだと、かなりシステマティクに巡回日程を立て、ケース会議時間数も多くなります。これが却って先生方のプレッシャーになるのではないかと思うからです。


多くの巡回の方がやっていらっしゃるように、もっとアバウトに日程を決め、雄叫びをあげた先生のように、個別指導計画とは関係なく、いわばビジター予約を中心にしようかと。まだ決まっていませんが。


精度の高い特別支援から考えれば、大きな大きな後退です。しかし、学校の、先生方の実情に合わないスーパーバイズでは成果はあがらないでしょう。急がば回れ。すぐに答えを出したい性格の私ですが、ここ数年で少し大人になりました。忍耐、忍耐。


まずは、一人でも多くの先生が、大きな声で、または心の中で雄叫びを上げてくださることを目指し、来年度の構想を練る私です。




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特別支援教育☆トップダウンの空虚

2009/02/12 21:24
 前回「草の根・・・」について書いたので、今回はそれを受けて。


私の存在など誰も知らな かったころ(今でも有名なわけではないですが)、あぁーやったらいいのに、こぅやったらいいのにと保健・福祉行政・教育行政への意見、アイディアがいくらでも湧いてくるも所詮小娘のたわごと。


7年ほど前、私の仕事の主流はリソースセンターoneでの療育・相談だったのですが、ある先生が対応できずに当センターの吉田に回ってきた研修会講師の仕事を療育職人の吉田が固辞し、それが私に回ってきて私は外へでるようになったのでした。


その時から、当センターのような特別なところに通うことができない子どもに、そして先生方に、保護者の方に少しでもお役に立ちたいという思いで、一つひとつの仕事を全力でやらせていただきました。

しかし、実はその思いだけでなく、いわゆる学閥とは無縁な私の案を施策に反映していただくには、気の遠くなるような遠回りであっても、このような仕事一つ一つでご依頼者の期待以上の結果を残すしかないと考えていたのです。



それから数年後、計画どおり?自治体から意見を聞きいと言っていただける状態になりました。そのような状態になってさらに数年後の今、トップダウンでシステムを整えても魂が入らない・・・という現実に直面。


そして、いわゆる政治は消耗します。明日にでもできることを実現するのに、あちらの顔色、こちらの事情・・・。子どものために早く何とかならないのーという感じで。


ちょっとストレス。


あれほど望んでコツコツたどりついたポジションでしたが、最近、自治体レベルでつくる施策・システムに「トップダウンの空虚」をつくづく実感しています。


やっぱり私は現場。
先生方に、子どもに対して視点を変えていただくご提案をし、具体的な対応をご提示してお役に立ち、その結果子どもが活きる、これが私のスタイルなんだと。


新境地を見出した先生方のプロ意識に火がつくのを目の当たりにするのもまた快感です。

そうやってつくった現場システムには魂が入るのです!



気づいてみれば原点に・・・。
「♪これが私の生きる道ー」って感じて、現場の仕事、大事にしたいと思います。ハイ。



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特別支援教育☆草の根の手応え

2009/01/15 21:11
 2009年がはじまりました。それらしい記事を書いたほうがよいのでしょうが、昨年末に書いていた記事が投稿に至らずに今日になってしまったので、新年のにおいのしない記事ですがご勘弁ください。


いくつかの自治体で園や学校を回っていて、ちょっとうれしいことがあります。

たとえば、いつも書いている年に何十時間もお伺いしている園では、この1年と12か月の間に、何人かの先生方が特別支援の実践の専門家といっても過言ではない状態になられていて、A先生が移動されても、B先生が理念と方法を受け継いでくださるという安心感を持てるようになっています。

そして、移動になられた先生は、移動先で今の園の実践を広めてくださるという期待も十分に持てる状況になりました。



 専門性の高い実践者の育成システムがなかなかないことについて心を痛めていたのですが、わざわざそんな機会を設けなくても実践の専門性を高めるのは、現場の生身の題材について冷静に分析的に考えて実践し、現場で結果を確認できるのが最も効果的だということに気付かされました。


もちろん、実践の感覚や手応えも味わえる育成システムがあるに越したことはありませんが。



 この園のように何度もお伺いできる園や学校ばかりではなく、全園年各2回の訪問という自治体もありますが、このような回数であっても手応えを感じることがあります。


 たとえば、初回お伺いしたときには、子どもに対し結構バリバリの対応をされていて、「う〜ん」という感じで印象に残っていた先生が、二回目の訪問で別のクラスの子のケース会議後帰ろうとした私を玄関で呼び止めてくださいり、「こういう子への対応についてもっと勉強したいのですが、先生のところのHPを見せていただくと学生さんへの指導者養成をやっているようですが、私も参加できるでしょうか」とお聞きくださいました。

やっったぁ〜!! お仲間お一人Get!

失礼ですが、前回の訪問時そんな様子はあまり感じられなかった先生だっただけに、すんごく嬉しかったです。


 また、この自治体の別の園でも、第一回の訪問のケース会議にも参加された保健師さんが帰り際、二回目の時に「担任の先生変られましたよね〜。」と話され、実は私もそれを感じていたので、これまたすんごく嬉しかったです。

前回には、子どもを変えるという視点でケース会議に参加されていたのに、今回は、子どものために自分がどう変わるかという視点でいらっしゃったように思われました。



先日は、前年度、この自治体のある園でケース会議に参加された先生が、今年度は同自治体の別の園に転任されていて、私の訪問を楽しみにしてくださっていたということでした。前年度のお子さんは、ケース会議のあとに先生が対応を変えたら、びっくりするほど伸びたとのことでした。

今回も、とても熱心に参加され、今回のお子さんへの対応について仕切りと反省されていらっしゃいました。あのあと、すぐに対応を変えてくださったと確信しています。


この自治体の今年度分の訪問プログラムは、12月で終了しました。各園年2回しかお伺いできませんが、このようなことが次々起こると、こんな機会をいただけて本当にありがたいとつくづく思います。


実践者として現場を回らせていただき、先生方の意識転換のお役にたてること、その結果、具体的に子どもに良い影響があること、トップダウンの施策でなく草の根の手応えとその広がりが、実は一番確実のような気がしています。


逆に、トップダウンでは厳しいということも実感しつつ・・・。



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 発達障害☆診断の行方

2008/12/12 07:19
 次から次へと目白押しだったしめきりがやっとひと段落つきました。
瞬発力はそこそこあると思うのですが、いつまでに何を仕上げなければいけないという持久力はかなり厳しく、思いっきりプレッシャーになります。

この約半年、このプレッシャー状態が続き、、ここ数カ月はブログに手を出す余裕がありませんでした。



 さて、この数か月いろいろなことがありましたが、今回は「診断」についてちょっと書いてみようかと思います。

「診断」については医師によって診断基準の適応範囲が違い、診断が出たり出なかったり、診断名がまちまちだったりいろいろなことがあるのが現状ですが、診断は子どもを健やかに育てるために有効なものであってほしいと思います。

上手に白黒つけることばかりを重視するのでなく、この子の脳機能・育ちの特徴を的確に押さえられることに重きを置いてほしい。



もともと診断基準はおおざっぱなのに対して、問題になるのは「ちょっと気になる」という感じの子。
それでも何かしらの問題があるから医療機関を訪れます。



「ちょっと気になる子」には診断を出さない医師は多い。
それはそれてよいのですが、単に「発達障害ではない」「○○ではない」ということで終わらせてほしくない。


そこで、ひと言「診断基準には完全に合致しないけれど、※※のような現状があるのだとするともともとその点について多少の弱さはあるのかもしれないので、何らかの配慮のもとに育てる必要がある」とでも言ってくだされば…。




何らかの診断名が付けば配慮を模索してもらえるのに、それがつかずに付け加えの説明もない子は、家族にも先生にも適切な対応をしてもらえなことがあります。




 園や学校を回っていると、この子をケースとして出してよいのかどうか迷いましたとお聞きすることがあります。
「発達障害ということではないと思うんですけど…」と、いわゆる「気になる子」。
そうやってあげられる子はいつも完全に私の守備範囲です。


個性と障害に明確な線引きはなく、本人の特徴(よんどころない脳機能の事情)を理解して対応することが飛躍的にその子を伸ばし、そうしないことが著しい問題を引き起こす、対応次第で大きく左右される子です。



本来、「特別支援教育」は診断があろうがなかろうが、一人一人の特徴を踏まえた対応がなされることになっています。けれど、この理念が本当の意味で浸透するのはまだまだ先になるような気がするし、この国にその日が来るのか…。

そこで医師の言葉は大きいわけです。


 ご自分の診断眼が惑わされないように、現場からの情報にはなるべく目を通さないようにしている医師もいらっしゃるようです。でも、集団に入ると環境刺激のハードルが高く不適切な言動が見受けられるが、診察室のような低刺激の場面では別人のようだったりする子も少なくありません。



診断て何だろう?



気になる子には、配慮(特徴を踏まえた対応)があって当然というところまで成熟した世の中になっていない現状、せめてわざわざ診断を受けに行った子には、今後の展開にプラスになる診断なりご説明をいただきたいと切に切に願うばかりです。


それを踏まえて具体的にどう対応するかは保育・教育現場または実践の専門家が考えること。

そこまで医療に期待し、医療の範囲を拡大解釈してしまう利用者側の問題があるのもまた事実ですが。



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先生方の武勇伝!! 特別支援教育の成果。

2008/07/05 20:39
 先生の武勇伝といっても、先生と子どもが格闘することではありません。
以前から度々登場している、年約50時間お伺いした幼稚園での先生方の実践者としての雄姿に敬意を込めての題名です。

思い起こせば昨年度の4月、園も私も、期待というよりはどうなっていくんだろうという不安のなか始まった特別支援教育の巡回相談。正直私は、そんなにうまくいかないだろうと思っていました。


そしてそれは、私が先生方を支援する力量がないという事実に直面する体験にもなるのだと、ある程度覚悟をしていました。


 いつも書いているように、支援はトレーニングではなく、子どもの脳機能(情緒的理解ではないという意味)の特徴の視点をもった理解と、その特徴をふまえたハードル設定で子どもの自然発達を最大限保障することがまず重要なわけです。


しかし、脳機能の特徴を知ることや集団の中で他の大多数の子とは違うハードルを適切なかたちで設定するというやり方、発想はこれまでの保育・教育には希薄で、ここが最大のネックになるだろうと思っていました。



 案の定、最初の数ヶ月は先生方も戸惑われ、そして、前回の訪問時お伝えしたことが浸透せずに自然に以前の保育に戻っていたり。

私がお伝えしていることが効果的であるのかどうかの懸念もおありだったのではないでしょうか。

しかし、たくさん訪問枠が確保されているなか、口頭で説明をするだけでなく、実際に私が活動の中に入り、口頭でお伝えしたことを子どもへの対応で具現化し、子どもの変容を目の当たりにしていただくことで、先生方の視点が変わっていったように思います。


ただし、戸惑いの次はジレンマ。先生方から「わかっているのにできない!」ということばを何度かお聞きし、私は「それでいいんです」とお応えしていました。


意識や視点を変えても、それが実践に反映されるのはそうたやすいことではないとわかっていますし、変わらなければならないのは対応する側であるという認識があれば、おのずと徐々に対応は変わっていくからです。

でも、先生方は当然苦しい。


そうこうしているうちに、子どもの小さな変化と何より先生方の小さな成功の実感の蓄積が・・・。


 余談ですが、私はクラスに入り支援員的に子どもに対応するのが大好きです。子どもの特徴をふまえての先回り戦略で、子どもに負担をかけずに適切な言動に導けた時、「よしっ!」って感じで心の中でガッツポーズ。


これを先生方も味わえば、実践者としてはたまらないモチベーションになるのではないでしょうか。


 
 乱暴、制止に怒る、集合しない、途中から出て行く、クラスを乱す、助言は聞けない・・・いろいろあり、私的にはちょ〜っと厳しいなーと思っていた子も含めたA君、Bちゃん・・・はどうなったのか。

迎えた年度末・新年度、「他の子とあまり変わらない」これが先生方から聴かれたことばです。
私もそう実感しています。


正直、私自身がこの成果に一番驚いているのではないでしょうか。
たった1年でここまで変わるとは!



いや〜、子どもってすごい! そして先生方凄すぎる!!


保育室内の配置や式典のセッティング、安定グッズの提供や子どもの実情にあったハードル設定・ことばかけなど今では、私が何か言わなくても、先生方自ら考え実践されているところがさらに凄い!!!


このすばらしい成果の要因は、

@実際に私の実践を見ていただき、実践者としてある程度信頼していただく機会があった。
A個々の子どもにフィットし、具体的で実効性の高い個別指導計画立案にかなりの時間と労力をかけ、子どもへの
  対応にあたって先生方の思考の整理ができた。
B園長先生と特別支援教育コーディネイターの先生がすばらしく、忙しいなかでもこれ以上ないという園内体制がと
  れた。私が園に行かない間、担任をもたないコーディネイターの先生が、客観的に担任の先生への助言をしてい  た。

などでしょうか。


 園には気になる子が何人かいますが、個別指導計画をきっちりつくり、先生方が思考を整理してのぞんだ子とそうでない子には、伸び率に差が見られたような気もします。

そして、幼児のうちに対応者が視点を変えれば、子どもは無理なく伸び、就学までに言動が目立たなくなる子が多いのではないかということもわかりました。



 昨年度1年、最強の誇り高きプロ集団と仕事をさせていただく機会に恵まれ、様々なことを学ばせていただきました。ときにプライドは、他からのことばを本能的に退けるものですが、それは本当の実践者としての誇りではないでしょう。

そして、子どもの自然発達を最大限に保障していただき、他の子とあまり変わらない状態にしていただいたこと、子どもに成り代り感謝の気持ちでいっぱいです。私が感謝するのは、筋違いでおこがましいのは承知してますが。




 私は、この園の実践を様々な講演会で紹介させていただいています。いたるところで苦労されている先生方や子ども自身に向け、この園の先生方の実践をお届けし、少しでも必要以上の負担なく育てて欲しい、育ってほしいと思うからです。そういう意味でもこの園の貢献は大きいといえるのではないでしょうか。



 今年度から園と小学校の一貫支援をさせていただいています。当初ちょっと変化は厳しいかなーと思った小学校も、少しずつ変わっていただいているのを実感します。


今年度は幼・小一貫の支援システムの構築と成果を、静かに勝手にもくろんでいる私です。
そして、すでに光が・・・。


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うれしい誤算☆小学校の特別支援教育

2008/06/04 10:07
 またまた、ず〜いぶん更新期間があいてしまいました。
だらしない性格がバレバレです。


 今年度から、昨年度年50時間近くお伺いしたA幼稚園の同学区の小学校にもお伺いすることになったと「幼児教育にはまる」の記事に書きました。いよいよ幼・小一貫の特別支援教育の渦中に。


昨年度のA幼稚園での先生方の武勇伝と感動的な成果を書かなくてはと思いつつ今日になってしまい、何となく消化不良なのですが、タイミングを考えて今回は、同学区B小学校の幕開けについて。


 実は昨年度末、B小学校と日程調整などしたのですが、申し送りや年度始めの先生方とお話する日程がなかなか組めず、あれやこれやで特別支援体制に微妙に不安が・・・。


先生方お忙しいところ、何とか時間をつくっていただき、訪問第一回目は講和から。講和後、今年度のコーディネイターの先生や数人の先生が集まってくださり、こちらから提示した訪問日程について、「訪問時間がもっとほしい」「もう少し早い時期に日程がとれないか」など熱いお言葉をいただき、私としては「あれっ、そうなの?」と拍子抜け。

現場の先生は熱いんだ〜ってことがわかり、何とかお役に立たなければ!とかなりテンションあがりました。

小学校の方は、校内体制を整えるところから始まりそうですが、それでもお忙しい先生方のご負担にならず、先生方にもそして子ども本人・保護者の方にもお役に立てるよう、静かに気合をいれる私なのでした。



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職業病

2008/03/01 22:49
 先日、私は幼稚園の年中児の我が娘の面談に出向きました。私は少々高齢の部類の、年中児の母なのでした。


 我が娘は、クラスになかなか馴染めず一人でいがちな子に、わりとライトに「一緒に遊ぼうよ」と声をかけるらしく、先生は助けられているなんていってくださいました。一般的には、「思いやりのある子」という評価をいただくかもしれません。先生もそういったニュアンスで話してくださいました。


 しかーし!私は『そういうことじゃないって事もあるな』と即座に思ってしまうわけです。たとえば、大多数の子どもが何人かのグループで遊んでいるのに、一人だけポツンとしている子がいたら無意識に空間的に気になるな、という具合に。


空間的に気になるというのは、大きな丸の柄ばかりのなかに、一つだけ小さな丸があったら、その丸は環境刺激として違和感をもってアピールしてきます。私にはその感覚がよくわかります。だから、小さな丸を大きな丸に同化させてしまえば、違和感がなくなり、なんとなく落ち着きます。もちろん無意識です。


または、一人だけポツンとしている子は、ちょっとおとなしめだったりして、我が娘のように、いろいろ思いついてしまい、やりたいことがはっきりしている子には、自分のペースで遊びやすいとか。従えるというのでなく、どこかのご夫婦のように、お互いにそれが楽っていうパワーバランス。

もちろん、それとは別にテンション高めな子同士惹かれあうというのは、私がかかわる子たちにはありがちですが、それはまた別の機会に。


という具合に、いろんな側面からの解釈ができるわけです。


 実際、我が娘に「お友だちと遊んでいない子に、一緒に遊ぼうって誘ってあげてるの?」とたずねると、???何言ってんの?という反応。彼女の名誉のために一応付け加えておきますが、何も考えてないわけでなく、思いやりを発揮したことを忘れてしまったのかもしれませんが・・・。
いや、でも私は何も考えていない確率の方が・・・。



 先生は、我が娘について誰とでも遊べる、といい意味でいってくださったけど、彼女の場合、「○○ちゃんと遊びたい」っていうお姉さん的な感覚はあまりなく、よほどイヤなことをされなければ、誰でもいいって感じもありそうです。


また、縄跳びなどずいぶん長いこと集中して一人で練習することもあるとほめていただいたのですが、彼女、熱中すると過集中になり、やめるのが大変なときあり。とくればもちろん、それ以外については、どちらかという飽きっぽい。新しいこと、刺激的なことは大好き。


 幼稚園での我が娘の行いの理由の真偽のほどは追求してはいないのですが、「思いやり」や「集中力がある」「分け隔てない」という定番の情緒的な解釈で、彼女が不利を被ることはありません。むしろ、実像よりも高評価だったりするかも。


しかし、私がかかわらせていただいている子どもの場合、この情緒的な解釈が子どもを苦しめていることは少なくありません。悪気があるように見えても実は悪気なく、嫌みや攻撃のように見えても、実は本人にとってはよんどころない理由があったり。


人は情緒的な解釈が好きです。プラスの解釈の場合、心温まり気持ちがよくなるからかも知れません。


 私も、情緒的な解釈は放っておいても浮かびます。けれど、それとは別のドライで科学的(本当に科学的ではないのですが、情緒的の対義語として)な解釈の仕方もすっかりプログラミングされていて、これって職業病?って感じです。


そして、情緒的でない解釈が子どもを助けることを身をもって経験してきました。


情緒的以外の解釈を加えることにより、対応のバリエーションが増え、彼らのうまくいかない本当の理由に合致した対応ができる可能性が高まるというわけです。


 でも、母の立場ではこれをやらなくてもよさそうなものを。因果なものです。


 私の場合は、好意的な誤解?も手伝って、なんてことのない面談で終わるのですが、そうでない場合は結構へこむよな〜。


 娘の面談は、保護者の方の気持ちの視点を常にもち、勇気をもって次にすすんでいただけるようサポートするという、面談する側の姿勢を再確認させてもらえるよい機会にもなっています。




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幼児教育にはまる。

2008/01/31 14:02
 ちょっとバタバタしている間に、前回の投稿から2ヶ月以上も過ぎ、もうこのブログは更新されないのではないかと思った方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
今年も、できる限り書いていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
ただし、ライト、ヘビー取り混ぜて。


 さて、これまで教育機関との連携では小学校が主流だったのですが、一昨年くらいから幼児教育機関からのご依頼が急増しています。

前回の記事「ぼくの世界へようこそ」も、その中で書きました。もともと幼児教育にすごーく興味があったわけではない私ですが、ここのところ、幼児教育にとてもやりがいを感じるようになりました。

その理由は、
@早いうちから保護者の方を支えることができ、保護者と教育・保育機関との
 軋轢という不幸を生まずに有機的に子どもをサポートする素地を築く作業が
 できること。

A保護者の方に子どもが小さいうちから、子どもの発達の特徴や具体的な
 対応をお伝えすることができ、無用な嵐を巻き起こさずに、健やかに子ども
 を育てる環境をつくれること。

Bはじめての集団参加から、集団の中で本人がよりよく居られる日常を作って
 あげられること。

Cまわりのお子さんに、苦手を持つ子をどうとらえ、どう対応すればよいか小さ
 いうちから伝えられること。

D学校よりもカリキュラムの縛りが弱く、その子にあった環境、課題、対応が提供
 できること。

E学校よりも「教育とはこうあるべき!」が比較的軟化しやすいこと。

F学校より規模が小さく、先生方が同じ方向性をとりやすいこと。(方針の違いに
 よる軋轢が生まれ難い)

というわけで、幼稚園・保育園自体の方針転換が思いのほか早い、先生方の意識の変化が感動的。その結果、子どもが変わる!


 この1年を振り返ると、幼稚園・保育園での仕事は本当にやりがいを感じました。正直最初はそうは思っていませんでした。半期を過ぎたことから、先生方の変化に感動を覚えるようになりました。

現場がどんなに大変かわかるだけに、その日々のなかで教育観・保育観を変えることは、容易いことではないと思います。本当に頭が下がります。

そうなんです。特別支援教育とは、教育観・保育観の転換という指導者にとってとても辛い作業を伴うのです。これについてはまたいつか。


 今年度、50時間近くお伺いしたある園については、来年度同学区の小学校に行く子についても担当することになり、一貫性のある支援が提供できる予定です。そして、以前「育ってる!でも先生になると…」の回で書いた有能な大学院生も支援員として入る予定です。保護者の方との面談も済み、来年度は、私、保護者の方、支援員はなかなかよいチームワークでいけそうです。

あとは学校との連携。こちらは、来年度に向けてこれから調整に入ります。



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ぼくの世界にようこそ。

2007/11/05 18:57
 先駆的な自治体では、多くの訪問時数枠が設けられているため、定期的にお伺いし、個別指導計画立案やケース会議の他に、1時間前後教室に入り、対象となっている子どもと過ごす時間が持てます。

 
 この時間、自分でやってみたうえで、どのような対応が「この子」に有効かを先生方にお知らせすることができるし、先生にも、私の対応を現場でみていただくことができ、とても有意義だと思っています。



 さて、ある園の年少組の○君と一緒に過ごした時のお話。


私が教室に入ったとき、トイレから帰ってきた○君は、棚にあったセロハンテープカッター用の中心(以後“コマ”といいます)をめざとく見つけ、くるくると回し始めました。


みんなで活動を始めようというときだったので、担任の先生はそれをやめさせようとしましたが、○君は無視、私も容認しているのを見て先生はそのままに。


もし、“コマ”を回させたくなければ、彼の目に入るところ、手が届くところに置くのはやめましょう。回した本人が悪いのではありません。置かないことが『先回り対応』です。


脳は成熟するので、子どもにあった対応があれば、卒園するときまでには同じことはやっていません。だから今は事を起こさせないことが大事。



今回私は、この“コマ回し”を利用しました。彼がくれた私用の“コマ”を私もいっしょに回しました。


なぜなら、先生が、給食の隊形からとなりのスペースに「まねっこ」をしながら子どもを誘導し始めたから。きっと彼はこの状況の理解が難しく、みんなと同じに参加するどころか、ウロウロしだしたり、みんなの邪魔をしたりするだろうと思ったからです。


“コマ”をまわしているうちは、結果的にみんなの邪魔になるような言動はないはずです。


本人にとってがんばってもハードルが高いことを、無理やりやらせようとすると、目立つ不適切な言動に至ります。すると、周囲からの評価も、子どもによっては、自己評価も下げてしまのです。何より、対応者との信頼関係が築けません。



 みんなで何か体を動かすようだったので、彼をみんなから離れたエリアに誘いました。一緒にいることで過刺激となり、調子を崩すと考えたからです。


環境刺激の調節は、彼らが不適切な言動をしないために、極めて重要な『先回り支援』です。



 音楽が始まり、運動会のお遊戯の練習が始まるようだったので、彼に、「先生がストップっていったら“コマ”を終わりにして先生の真似してみて」と伝えました。


運動会の練習については、事前に先生から、彼はみんなといっしょにやるのは難しく、別室で先生とマンツーマンでやったら、ほんの少しだけ踊ったというお話を聞いていました。



 私は、少し離れたエリアであっても、みんなといっしょの空間でできないだろうかと考えていました。もちろんみんなといっしょにやることが目的ではなく、彼の、環境からの刺激処理の上限を知りたかったから。


 「ストップ」というと彼はすぐに“コマ”をやめました。さっき先生に止められそうになったときは無視していたのに。


事前予告と「ストップ」というわかりやすい提示は、このタイプの子には有効です。


事前予告も『先回り対応』です。


 そして、私がみんなのお遊戯を真似てやってみると、彼もいくつかの動きを真似てくれました。すぐに終えてしまったけれど、でも、みんなと少し離れれば、教室内でもちょっとだけなら参加はできるということです。


よくできました!



損して得とれ、みんなと別の行動“コマ回し”はさせたけど、「ストップ」でやめる、先生の真似をするの指示にはきちんと従えました。



 さて、みんなのお遊戯の練習も一曲で終わり、今度は床に座ってお話を聞くようだったので、私は、これはみんなの近くで大丈夫ではないかと判断し、○君をみんなの近くに誘導しました。


もちろん、お話を聞くのは難しく、結果的に不適切な言動か、みんなとかなり違う動きを見せるだろうと思ったので、担任の先生に背を向けて、また二人で“コマ”。



動きがあるワサワサした状態ではなくなり、環境のハードルが下がったので、「集団の近くにいる」という意味ではハードルを上げたのです。



しかし、「やること」については、「話を聞く」はハードルが高いと判断し、“コマ”。



「なになに?」って興味をもって“コマ回し”をのぞく子もいたけど、「あたなはきっと先生のお話をしっかり聞けると思うな〜」というとすんなり先生に注目。この後も何度かこの方法で、他の子が○君に引きずられることはありませんでした。



 この“コマ回し”のときに○君は寝転んでやり始めそうになりました。私は、「みんな座っているから、○君も寝ないでやろう」と提示すると、その後1度も寝転ぼうとすることはありませんでした。


先生方からは、なかなかルールは守れないといういう状況も聞いていたのですが、彼の状態に合ったルールなら、難なくクリアできるということです。


 そしてもう二つルールを提示しました。


一つは、長い針が一番上になったら、“コマ”は終わり。


もう一つは、終わりのときには、私の分も“コマ”を片付けるというもの。「先生(私)は、どこに片付けるかわからないからお願いね」と伝えました。


彼は、時間になったら何も言われずとも“コマ”を片付けました。

 

 実は、事前にいただいた先生の指導計画には、片付けをしないという報告があったのですが。


次から次へみんなで遊んだものでなく、確実に自分が使ったものを予告されて片付けるのであれば、何の問題もなくできるということです。


私は、彼に「片付けてくれてありがとう」をいう機会に恵まれました。


 そのままクラスの流れにのって、ホールのポストに自分のお手紙を入れに行くことはできたけど、ポストに入れるという目的を達すると、帰りには、楽しそうにニコニコ笑いながらお友だちにドーンとぶつかっていきました。

ドドーっという人の流れが、過刺激となり、この行動を誘発したのです。

私は○君をホールの水槽見学に誘ってトラブルを回避。


廊下が少しすいてから、教室に帰してあげました。



 私が彼に対してやったことは、「先回り戦略」「環境統制」です。


彼が状況・情報処理できる環境とそうでない環境を選別し、力を発揮できる環境だけ提供しました。そして、みんなと同じクリア目標ではなく、彼のためのクリア目標を現場で次々設定しました。


つまり、地に足を着けて言動ができる環境を提供したということです。


次に、ルールを明確にし、事前予告で見通しを提示しました。



現実にプカプカ浮いている状況ではなく、主体的に状況にかかわる、地に足を着けた行動が、彼らをより大きく成長させるのではないかと。


子どもの年齢や状況、要因によって、かかわり方は違うので、どの子にも同じような対応がよいわけではありませんので、この対応をそのまま他の子にするのはNG。


そして、先生が1人だけなら、別の「先回り戦略」で。



 私が帰り際、園長先生とコーディネイターの先生にご挨拶をしていると、彼がどこからともなくやってきて、私の手の甲にチュッ!

先生方は、「何でしょう?」と私に尋ねられました。


私は、『ぼくの世界へようこそ』という紳士的な歓迎だったのではないかと、勝手な解釈をして帰路につきました。



長らく更新していなかったにもかかわらず、たくさんの方にご覧いただき、予想以上に応援いただき驚いております。一言御礼申し上げます。



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プライドの種を蒔く。

2007/10/13 08:52
 リソースセンターoneには、学生さんが実践経験を積むための、指導者養成学生サークルseedsがあります。学校など現場に出ていきなり実践というでは、ご本人にも、なにより子どもにも負担が大きいのではないでしょうか。


seeesでは、毎月1回の実践と、年に数回の研修会があります。この研修会は、来週10月20日の土曜日に実施されます。これについては、学生さんならseedsメンバーに限らず、もちろん無料で広くご参加いただけるようにしています。


ここでは、子どもをどうとらえるかや知識、方法のほかに子どもにかかわる醍醐味と責任についても、お伝えしているような気がします。これは、大学院の講義でも同じこと。



 発達に偏り、苦手のある子どもの成長は、そうでない子に比べ、環境や対応に大きく左右されます。つまり、彼らに一時でもかかわるということは、彼らを未来につなぐ醍醐味とともに責任を負うことになるわけです。


私がその醍醐味と責任を認識すればするほど、それがことばの端々に、表情に、身振り手振り表れるようです。



 ところで、私の講演会や研修会にたびたび足を運んでくださる先生方がいらっしゃいます。私はそんなつもりでお話はしていないのですが、なんでも、「明日からやるぞー」って元気が湧いてくるからといってくださいます。「注射だ」という声もお聞ききました。


話の内容は、基本的に子どものことを話させていただいており、直接的に先生方にエールを送るものではないと思います。それでもそう思っていただけるのは、たぶん、どこか先生方のプライドをくすぐるのではないかと思うのです。


怒涛の日々で忘れがちな、「私は子どもを未来につなぐ大事な仕事をしていたのだ」という。そして、「何かできる!」とモチベーションをあげていただけるのかもしれません。



 学生サークルseeds。その名のごとく、実践の醍醐味と責任、つまり、実践者としてのプライドのちっちゃな種をちょこっとお渡しできるといいかなーと思います。


「プライド」とは、「めんつ」という意味ではありませんよ。子どもを伸ばすことが目的なのだから、その目的を果たせるのなら、誰の意見であろうと取り入れるのは当然。逆に内容を精査せずに権威や知識、know howに飛びつくということもないということです。


ちょっと偉そうなことを書いてしまっているでしょうか。気恥ずかしい感も…。


でも、軽度発達障害児教育実践という分野で十数年間、みなさんよりちょっぴり長めに実践を続けている者として、子どもたちの未来に向けて、プライドの種を蒔く責任もあるのではないかとちらっと思っているわけです。



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私の責任・先生の責任

2007/10/07 20:41
 今は、学校や自治体などの外回りが仕事のほとんどになってしまいましたが、私はもともと実践者です。ということは、私が直接担当する、軽度発達障害をもつといわれている子どもを伸ばす責任があるということです。


ちなみに、「伸ばす」=できないことをできるようにさせるという意味ではありません。このことについては、またいつか機会があれば。


 子どもにいらぬ不適切な言動、パニックを起こさせたり、子どもを最大限伸ばせないということであれば、それは私に問題があるということです。


また、個別指導計画の評価は、子どもの評価ではなく私自身の評価。芳しくない評価であるとしたら、真摯に受け止めなければなりません。


さすがにたびたび自分の力のなさに直面するのは辛いので、子どものためばかりでなく、自分のためにも自己評価と反省を繰り返してきました。
もちろん、目標の設定を低めにすれば、評価は悪くなりようがないのでそれは論外。



 さて、特別支援教育で軽度発達障害児が対象とされたことによって、通常級の先生方の責任範囲が広げられました。専門機関の実践者である私ほどシビアでないとはいえ、集団から少しはずれてしまう子を伸ばすことについても、担任の先生の、学校の責任が明確にされました。


先生方へのサポートが行き届いていない現状を思うと、お気の毒な部分はありますが、そう決まってしまいました。



 すぐに成果をあげられる現場もある一方で、ときに個別指導計画の評価の際、この子がどんなに不適切な言動をしたのかという報告もあります。


客観的に見れば、指導者の問題点の報告になってしまうのですが、この認識の浸透はこれからということになるでしょう。


逆にいうと、この認識の浸透が難しい場合に、成果が上がりにくいということもあるようです。特別支援教育が、知識やknow howの羅列では済まないということのあらわれかもしれません。



 ところで、私が現場に派遣される目的は、先生方のお役に立ち、できうる限り子どもにとってよい教育環境を提供することでしょう。


だとすると、子どもへの具体的な対応を通して、先生方が不快になられずに、ある部分意識転換の軟着陸をしていただくことも私の責任。


すでに転換してくださった先生もたくさんいらっしゃいます。しかし、いくつもの自治体、たくさんの現場とのかかわりの中で、広く見渡せば、私の力量ではこの任を果たすことは難しいかもしれません。


 責任の重圧を感じつつ、今はとにかく先生方のお役に立てるようにと。




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パニックへの対処法???

2007/09/30 21:30
 子どもが暴れたり、暴言を吐いたりしたとき、どうすればいいんですか?というご質問をよくいただきます。いわゆるパニックへの対応です。


そんなとき私は、「対処法を考える前に、パニックは起こさせてはいけない」とお話をします。


この子は暴れる子、逃げる子、ものを投げる子、暴言を吐く子、“そういう子”というところからお話が始まっていますが、パニックを起こすには、必ず理由があります。つまり、理由がなければパニックにならない。


パニックは本人にとって受け入れがたいこと、想定外の事態に直面したときに起こります。


叱られたとき、友だちが本人の受け入れがたいことを言ったとき、自分の思っていたもの、ことと違ったとき、本人のストライクゾーンをはずれたものを強要されたときなどなど…。彼らは、許容範囲がもともと狭い。


 パニックは、過敏性と思考の柔軟性の欠如から来る混乱です。そうは見えないと思いますが、自分の許容範囲外、想定外のことに対する不安や恐怖が、パニックとなって表れるということです。


彼らもかなり消耗すると思います。


パニックを起こさせることは、本人が安定して何かを吸収することへの妨げになります。おまけに、以前『脱:「慣れさせる」』にも書いたように、トレーニングと称して、慣れさせるために、パニックを起こすような状況をわざわざつくるのは、パニックの強化につながります。



頻回なパニックで、パニックへのバイパスが太く、強くなり、ちょっとしたことでもパニックへのスイッチが入りやすくなってしまう。


だから、パニックを脳に忘れさせる必要があるのです。脳は成熟するので、パニックを起こさない間に、過敏性や思考の硬直性は改善されていきます。自力で。


パニックが起こりやすい環境を提供され、成長を邪魔されても、それを上回る自力の成長によって、パニックを克服する子はたくさんいます。


しかし、子どもの特性によっては、頻回なパニックでそれが人格のように定着をしてしまうことがあります。



パニックを起こさせてからとめるのではなく、パニックを起こさせないためにどうするかを考えることが、彼らの成長の大きな助けになるということになります。



 「パニックへの対応」、それは、起こさせてからとめるという後追い対応ではなく、パニックになる原因・刺激をどう排除するかという、パニックを起こさせない先回り“戦略”です。


 もちろん、努力してもパニックの原因をすべてブロックできるわけではないから、対処のセオリーはあります。


ご質問に対しては、起こしてしまってからの対処もきちんとお話しています。


 「先回り戦略」については、またいつか書くことがあるかもしれません。





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「健やかに」への願い

2007/09/26 22:22
 私はよく、「健やかに」ということばを使ってしまいます。このブログでコメントをいただいた方にも、このことばを使わせていただいたと思います。これは社交辞令ではなく切なる願いです。



 発達に偏りのある子については、「健やかに」育つということがなかなか難しい。それは本人の問題というよりは、マイノリティーである彼らのことがわかりにくいという周囲の問題によるところが大きいのではないでしょうか。

 

軽度発達障害を持つ子のほとんどは、彼らの特徴やそうなってしまう事情を知って、その子に合った環境と対応があれば驚くほど伸び、中学生以降、急激に不適切な点は目立たなくなります。そして子どもによりそのありようは様々ですが、客観的な思考ができるようになります。



そうなる前に、トレーニングという名のもと変にいじったり、無理をさせたり、こちらの都合や思い・願いを押し付けたりすると、健やかな育ちから遠ざかってしまうということになってしまうかもしれません。


 
 素材の特徴を知って、肥料や水をやりすぎないように。マニュアルどおりの収穫時期を守って、熟していないのにもいでしまわぬように。甘みが強いのか、えぐみがあるのかなどを熟知して、ベストのメニューや調理法、調味料のチョイスでその素材として一番おいしい一品になるように。



力がないわけではなく、発揮させてもらえないことが多い彼ら。
トレーニングではなく、その子にあった無理のないハードルを当たり前に越えさせ、「やったね」ていう気持ちを共有できる味方がいれば、彼らは心豊かに育ちます。そして伸びます。




 彼らの特徴に歩み寄って「無理のないハードル」「当たり前に越えさせる」が保障されにくい現状を考えると、直接かかわれる環境にないお子さんについては、「健やかに」を願わずにはいられないのです。




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いつもここから★教育用語では…。

2007/09/23 00:10
  二次障害にからむお話は、気持ちが沈むのでいったんブレイクを入れたいのですが、前回の記事で医療についてだけ書いたままなので、高機能広汎性発達障害いわゆる自閉症が見逃される「もっと強力な理由」について。


 私は、講演会や講義などで「いつもここから」って感じでお話している話題があります。
今更…と思われがちな「LD・ADHD・高機能広汎性発達障害の特徴」から確認をしています。
ポイントは、「LDには、社会性・行動上の問題はない」「ADHD=多動ではなく、対人理解の質的な問題もない」というものです。ADHDについては、またいつか。


最大限子どもを伸ばすということなら、起こっている現象に対するknow howの羅列ではなかなか難しいでしょう。


「なぜそうなるの?」ってところを脳機能の視点をもって、要因をふまえるということが合理的であることは以前に触れました。もちろん、要因は間違えないように。同じような問題に見えても、要因が違えば対応が違う。


要因を考えるためには、軽度発達障害のそれぞれの特徴を知っている必要があるでしょう。


 そこでまず整理させていただいているのがLD。LDには、心理学をベースにした教育用語としてのLD( learning disabilities )と、WHOのICD-10やアメリカの精神医学会のDSM-Wなど医療の診断基準にのっとったLD( learning disorders )があることは、ご存知の方も多いと思います。


違いは、教育用語では「聞く・話す・推論する」が含まれ、間接的にコミュニケーションの問題を含んでしまっているということです。


 もう何年も前に、「非言語性LDのほとんどは、高機能広汎性発達障害」という医療からの指摘もありました。その後に文科省がまとめたADHDや高機能自閉症(文科省ではこの用語を使っています)については、DSM-Wが参考とされました。



 教育用語のLDの「聞く・話す・推論する」がうまくいかない要因については、ADHDや高機能広汎性発達障害の脳機能の特徴でほぼ説明することができると思います。


 教育現場は、医療との距離より心理との距離が近く、心理をベースにしたこの教育用語の「なんとなくLD」がぼんやりと浸透しています。また、現場には心理の専門家が、スクールカウンセラーや心理相談員というかたちで入ることが多い。


高機能広汎性発達障害の状態像が、なかなか浸透しにくい現状があるというわけです。


自閉症の親の会の保護者の方々など、具体的に教育現場での適切な対応を阻まれるという不利を被る方々の、この混乱についての憤りをお聞きすることも少なくありません。



 現場の先生方に軽度発達障害のそれぞれの特徴を知っていただき、高機能広汎性発達障害の想像力の障害、社会性認知の低さ、そうは見えないけどパニックなど、現場で見逃さずに適切な対応をしていただくことで、彼らの未来が大きく開けると思うのです。


現場こそ、LDについては、医療の概念を採用した方が要因に迫りやすいと思うのですが。
医師が医療の概念を支持するのではなく、実践者が医療を支持することには意味があると思います。



 実はこの混乱、適切に対応してもらえないのは、広汎性発達障害をもつ子ばかりでなく、社会性には問題がなく、読み書き算数(計算)だけに問題がある本物のLDの子も。怠学という対応をされ、二次障害である非行へというケースは少なくありません。


 こんな子どもたちにいくらでも会ってきたので、これを繰り返したくないという思いで、もう5年くらい「いつもここから」のお話になってしまうわけです。講演時間がたりなーい!
早く浸透してくれるとありがたいのですが、私如きの地道な活動ではペースはゆっくり。


ちょっぴりいやになっちゃうけど、それでも確実に浸透はしてきているので、もう少しはがんばれるかなー。教育の体制にかかわるようになって、だいぶ気が長くなりました。

あきらめたら終わりだから。



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見逃される理由

2007/09/19 00:08
 前回の記事で、高機能広汎性発達障害いわゆる自閉症が見逃され、彼らの思考の特徴に適さない対応を受け続けた結果、深刻な二次障害に陥るケースはあとを絶たないということを書きました。


中学校段階以降に当センターにたどりついたケースで、「なぜこうなるまで・・・」と残念な気持ちでいっぱいになることがあります。



 見逃される理由はくつかありますが、以前書いたように、医療が請け負う“診断”もその一つです。


軽度発達障害についての専門性を持つ医師不足は言われて久しく、医師の中に高機能広汎性発達障害の状態像が浸透していないということが大きいかも知れません。


知的障害を伴うお子さんを専門としてきた医師の中には、前回書いた自閉症者で翻訳家のニキ・リンコさんのような知的に標準域以上で、傍から見て困難がわからない状態像を診断できる医師は極めて少ないといえます。


また、軽度発達障害の子は、LD・ADHD・高機能広汎性発達障害の2つ以上が合併することが多いのですが、診断では単一診断名という原則も手伝って、今は医師によって診断がまちまち。


しかも、有名な軽度発達障害の専門医も、他機関でADHDと診断された子どもの8割は高機能広汎性発達障害といっていらっしゃるように、派手な言動があればADHDとされることが多いようです。


目立つ言動がなければ、診断がでないこともしばしば。



ということで、よくよく見てあげなければわかりにくい、地味な対人理解・状況理解の微妙なズレが脳機能に起因することは見逃されてしまいがちです。

 

また、集団での様子が、軽度発達障害の臨床経験の少ない医師には伝わりにくいということもあるかもしれません。



診断を受けに入っても、さまざまな理由で、適切な診断がでないという事が起こります。


以前の記事「障害児の見分け方???」にも書いたように、余裕のない教育現場では、残念ながら障害児とわかれば配慮が得られる可能性があるけれど、そうでなければ、「みんなと同じように」「叱る」「注意する」といった対応にならざるを得ないのが現状です。


彼らの社会性認知、対人理解、状況理解の弱さや感覚の混乱などへの配慮は得られず、二次障害へとつながるのです。



というわけで、まったなしの現場で子どもを伸ばすためには、ある程度の精度をもった「見立て」ができることが重要になるかもしれません。


けれど、なかなか現場に軽度発達障害の各特徴が浸透しない強力な理由が他にもあるので、私としては、地道にご説明を差し上げてまわっているという次第です。


厳しい状況に陥ってしまった子どもに会うのは辛すぎるので。



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それはパニックです。

2007/09/13 22:35
 5年くらい前、園や学校などにお伺いし始めた当初は、「軽度発達障害の理解と対応」的なお話をするかたちが多かった研修会も、再訪問、再々・・・訪問が多くなり、初回の「お話」で基本的な知識と対応について先生方と共有したうえで、ケース会議というかたちでかかわることができるようになってきています。


私にとっては喜ばしいことです。
だって、生身のA君について現場でどうするかを考えるのが本職なのですから。そして、今日のA君に、明日からちょっとだけかもしれないけど、違った学校生活が待っている可能性を思うと、特別支援教育の行く末について、ため息交じりの私もちょっぴり元気が出るのです。


 そんなこんなで、学校や園にお伺いしているわけですが、どこへいっても必ず毎回あがってくる子どもの特徴があります。集団の場ですから、周りが「参った〜」と思ってしまう特徴です。


それは、「自分の思うようにいかなかったり、他者から注意を受けたりしたときに暴れる、暴言を吐く」という類のものです。


一般的な視点で見れば、「わがまま」「我慢がたりない」「わざと」と思われるかもしれません。勉強されている先生は、ADHDの衝動性と思っていらっしゃることもあります。ADHDの衝動性については、このように誤解をされることも少なくないので、いつか機会があれば書いてみたいと思います。


 これは、「パニック」です。アスペルガーなどの高機能広汎性発達障害、いわゆる自閉症をもつ子の中に、このような派手な行動に至ってしまう子もいます。そうでない子もいますが。


広汎性発達障害、いわゆる自閉症の特徴として、「情報・刺激の処理の硬直性」があります。だから、子どもによってはなはだしく、またはかすかに思考の柔軟性に困難があるというものです。


今回の例の場合、自分の方向性に横槍が入ったとき、上手にそれに対処するのが難しい。ましてや、「違う」「ダメ」「やめて」など、感情の入りやすい表現で横槍を入れられると、過敏に反応してしまいます。


パニックは、過敏性や思考の柔軟性の困難からくる混乱です。そうは見えないし、本人も気付いていないのですが、突然どん帳が降りてしまったことへの、先の見えない潜在的な不安・恐怖の表れです。



ということは、言って聞かせたり、叱ったり、もう怒らないって約束させたり、目標にさせたりすることが、支援にはなりにくいことがご理解いただけると思います。本人は、うまく情報・刺激の処理ができず、大混乱になっているという彼らの事情がわかれば、このことについて、本人に必要以上の努力を要求するのは酷ですよね。どうするかは、いつか機会があれば。



 残念なことに、高機能広汎性発達障害が見逃され、適切な対応がなされずに二次障害を招くケースがあとを絶ちません。本当の意味での専門医の診断が出る状態像と、教育・心理の場で高機能広汎性発達障害だと思われている状態像に大きな隔たりがあるからです。


自閉症者で翻訳家のニキ・リンコさんの講演会に足を運び、彼女のたたずまい、話す様子を見て、彼女が自閉症であるとは思わない方も多いのではないかと思います。ちなみに、彼女のパニックは目立つタイプのものではなかったようですが。


彼らの自閉症が見逃され、彼らの事情が葬られることのないように、先生方が対応に苦慮されることがないように、お役に立てれば幸いです。



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運動会がやってくる〜!!

2007/09/08 23:40
 今日は、新幹線にのってある地方に行ってまいりました。ここ何年かは、自治体や親の会からのご依頼で、地方に出向くことがあります。ほしい専門性や人材をその地方でまかなうことが難しければ、適当なところでお茶を濁さずに外から呼んでくるという柔軟性はあった方がいいかもしれませんね。お役に立ててているとよいのですが。


 さて、9月に入りました。そろそろ我がリソースセンターoneに通う子のなかにも、調子を崩す子がちらほらと見える季節です。


 今は外に出向くことが多く、できなくなってしまったのですが、私も数年前までは個別の学習指導もしていました。学校が終わってからやってくる子どもたちのなかに、「疲れた〜」とタコのようになっちゃう子や、妙に不機嫌な子がいたりするのはこの時期です。ちなみに、疲れるのは、体だけではありません。


この原因は「うんど〜かい」です。「運動会」。



運動会の練習や本番は、拷問に近いものになってしまう子がいますよね。


 本人はきちんと整理されないままに、いつもの時間割りを大幅にかえられ日によって日程がいろいろ。他のクラスと合同で、人が多くて刺激強すぎ。場所移動があり過ぎ。次から次へとやらなきゃいけないことが多過ぎ。とにかく混乱ぐちゃぐちゃ。


本番は、さらに人が多過ぎ。音がうるさ過ぎ。隊形が変わり過ぎ。そして、ストレス耐性の低さからよからぬ緊張をし過ぎ。


刺激や情報処理が硬直的な彼らが、パニックになって当然というお膳立て。ちょっとしたことで怒り出したり、イライラしたり、小さい子は単に嫌がっているように見えるけど、実は不安と恐怖で泣きわめいたり。このような出方をしない子でも、具合が悪くなったり、行き渋ったり。



 ある自治体との連携では、1校(園)について年間約20回もの訪問枠があります。この枠を個別指導計画立案、ケース会議や校(園)内研修など、いろんな用途で使っているのですが、来週から運動会に向けて、各子どもの参加スタイルについての戦略を練ることになっています。


 何もかもみんなと同じにできることに価値があるのではなく、その子の苦手な部分には、それに応じたハードルを設定し、無理なく越えさせることが成長へとつながるはずなので。


本人なりに充実した人生において、運動会に参加できることの重要度について多少の疑問は残りますが。



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障害児の見分け方???

2007/09/05 23:05
 今回もまたまた「よくあるご質問」について。「障害があるかどうかを見分ける方法を教えてほしい」というご質問も、よくあるご質問ベスト5くらいに入るのではないかと思います。


 そんなとき、「障害があるかどうか見分けることは、そんなに重要ではないのでは?」という主旨の答えをさせていただいています。私たちの仕事は、診断ではなく子どもを伸ばすこと。基本現場では、何度か言って聞かせて子どもが変わらなければ、工夫や配慮、ハードルを下げるなど、何らかの手立てが必要なのではないかとお話をします。


 見分けたい理由は、「わがまま」や「怠け」、「甘え」なら、叱る・注意をするという従来の手法をとるけれど、障害だとわかれば何らかの配慮をするという線引きのようです。


でも、逆に考えて、「わがまま」「怠け」「甘え」と思われる子が、『叱る』」『注意する』で変わるのかなーとも思うのです。もちろん、変わる子もいるでしょう。でもそうじゃない子も多いんじゃないかなー。


「わがまま」や「怠け」「甘え」などが目立つ子は、もともと脳内の「耐性」にかかわるシステムが、うまく機能しにくいという可能性もあります。軽度発達障害の各障害の特徴は、少なからず私たちにも個性の範疇として存在するもので、とてもねばり強い人もいれば、すぐに投げ出してしまう人もいる、温厚な人もいれば、短気な人もいる、思考が柔軟な人もいれば、融通が利かない人もいるなどなど、これらは環境要因だけでなく、生得的な特徴の影響もあるということです。


 だがら、かすーかにその傾向があるかも・・・という子は結構いるわけです。もともと、「耐性」に多少育ちにくい部分がある子に、叱ったり、注意したりを繰り返し、非行なども含む二次障害に陥らせているケースはこれまでにたくさんあったと思われます。


 特別支援教育の対象となる子の中には、診断がない子の方がたくさんいるのではないかと思います。数少ない専門医なら、診断を出すであろう微妙なグレーソーンの子も。障害のあるなしにかかわらず、子どもの特徴に歩み寄り、子どものよさを最大限発揮させる対応ができるといいなーと思います。


 なぜ、子どもの障害の有無を見分けたい先生が多いのか。たぶん、教育現場に余裕がなく、たくさんの子どもの特徴に歩みよるなんてことが困難なことと、伝統的な教育観によるものでしょうかね。教育行政には、現場の過重負担軽減のお願いと、現場には、伝統的な教育観の転換のお願いを・・・なんかお願いばかりしているよーな。


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『軽度発達障害』という“く・く・り”

2007/09/02 06:41
 我がリソースセンターoneには、何が問題なの?と周囲に思わせる子がかなりの割合で通ってきています。目立つ言動はあまりなく、勉強も結構できる子もいます。大概は、無礼・失礼、性格が悪い、変わってる、扱いにくい、融通が利かない、はなはだしく空気が読めないという感じの子どもたちです。


 軽度発達障害には、知的側面に関していくつかの解釈があります。@知的に標準域以上、A知的にボーダーライン以上、B軽度知的障害。当センターを利用しているのは、ほどんどが知的に標準域以上の子どもたちです。


こういう子どもたちでも、診断が出るようになってきました。ただし、軽度発達障害について、精度の高い診断ができる医師が不足しているというのは有名なお話で、都内でも片手分いらっしゃるかどうかというのが現状です。このことについては、またいつか機会があれば書いてみたいと思います。



 さて、現状の園や学校現場では、このような子どもたちを「障害」といわなければなりません。そうしなければ、適切な対応・配慮を求めることができないからです。


よく、幼稚園で保護者が障害を認めなくて困っていると先生からお聞きすることがあります。特に、家ではあまり問題がない場合が多い。そんな時、子どもによっては「この子は、きっと個性の範疇になっていくでしょうから、危険を冒してまで保護者の方に障害受容を迫らなくてもいいかもしれません。それより園で適切な対応をして、子どもの特徴と対応のヒントを保護者の方に返してあげましょう。」とお話しすることがあります。脳は成熟しますし。

 

 私が研修会や講演会でお話することのなかに、特別支援教育の鍵は「意識の転換」だというものがあります。一つは、「子ども観・人間観」の拡大。もう一つは「教育観の転換」です。教育観の転換についてはまたいつか。


子ども観の拡大・・・そうは感じない子がいる、そうは思わない子がいる、一般的に自然に見て学べることが学べない子がいるということです。


自分は努力をしなくても勉強ができるので、友だちのテストの点について「何でそんな点なの?」と不思議に思い友だちに聞いてしまう。その結果、相手がどう思うのか、自分にいじめなどのかたちでかえってくる可能性があるというところまで思いがいたらない。


このことに限らず、本人は「知らない」「わからない」「できない」「自分でもとめられない」なんていうことはよくあることなのですが、「わざと」「嫌み」「いやがらせ」「反抗」「怠け」など、悪意にとられることがほとんどのようです。


子ども観が拡大されれば、彼らを「障害」と呼ばずして、当たり前に必要な支援・教育がなされる方向に展開していくであろうと。というかしてほしい。



 彼らのような子どもは、上手に育ててあげれば、個性としてそれなりに社会で自分の道を歩んでいけます。しかし、現状では上手に育てるのが難しいため、もともとの脳機能のうまくいかなさではなくて、環境や対応が合わなかったために起こる心の問題(二次障害)を引き起こしてしまうことが少なくありません。これは、結構手ごわいです。二次障害についても、いつか機会があれば。


 
 ちなみに、知的障害やその他の、世間で「障害」と言われる状態についても、ことさらに「障害」という名前をつけなくても、その特徴に対して必要な支援が、自然に当たり前になされる心豊かな社会になるとよいですよね。



 私はといえば、社会を変えるような立派な活動はできないけれど、「障害」などといわなくても、彼らに必要な支援がなされる日をめざし、園や学校に「子ども観の拡大」をお願いして回る毎日です。道のりは長いと思いますが。



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