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いつもここから★教育用語では…。

2007/09/23 00:10
  二次障害にからむお話は、気持ちが沈むのでいったんブレイクを入れたいのですが、前回の記事で医療についてだけ書いたままなので、高機能広汎性発達障害いわゆる自閉症が見逃される「もっと強力な理由」について。


 私は、講演会や講義などで「いつもここから」って感じでお話している話題があります。
今更…と思われがちな「LD・ADHD・高機能広汎性発達障害の特徴」から確認をしています。
ポイントは、「LDには、社会性・行動上の問題はない」「ADHD=多動ではなく、対人理解の質的な問題もない」というものです。ADHDについては、またいつか。


最大限子どもを伸ばすということなら、起こっている現象に対するknow howの羅列ではなかなか難しいでしょう。


「なぜそうなるの?」ってところを脳機能の視点をもって、要因をふまえるということが合理的であることは以前に触れました。もちろん、要因は間違えないように。同じような問題に見えても、要因が違えば対応が違う。


要因を考えるためには、軽度発達障害のそれぞれの特徴を知っている必要があるでしょう。


 そこでまず整理させていただいているのがLD。LDには、心理学をベースにした教育用語としてのLD( learning disabilities )と、WHOのICD-10やアメリカの精神医学会のDSM-Wなど医療の診断基準にのっとったLD( learning disorders )があることは、ご存知の方も多いと思います。


違いは、教育用語では「聞く・話す・推論する」が含まれ、間接的にコミュニケーションの問題を含んでしまっているということです。


 もう何年も前に、「非言語性LDのほとんどは、高機能広汎性発達障害」という医療からの指摘もありました。その後に文科省がまとめたADHDや高機能自閉症(文科省ではこの用語を使っています)については、DSM-Wが参考とされました。



 教育用語のLDの「聞く・話す・推論する」がうまくいかない要因については、ADHDや高機能広汎性発達障害の脳機能の特徴でほぼ説明することができると思います。


 教育現場は、医療との距離より心理との距離が近く、心理をベースにしたこの教育用語の「なんとなくLD」がぼんやりと浸透しています。また、現場には心理の専門家が、スクールカウンセラーや心理相談員というかたちで入ることが多い。


高機能広汎性発達障害の状態像が、なかなか浸透しにくい現状があるというわけです。


自閉症の親の会の保護者の方々など、具体的に教育現場での適切な対応を阻まれるという不利を被る方々の、この混乱についての憤りをお聞きすることも少なくありません。



 現場の先生方に軽度発達障害のそれぞれの特徴を知っていただき、高機能広汎性発達障害の想像力の障害、社会性認知の低さ、そうは見えないけどパニックなど、現場で見逃さずに適切な対応をしていただくことで、彼らの未来が大きく開けると思うのです。


現場こそ、LDについては、医療の概念を採用した方が要因に迫りやすいと思うのですが。
医師が医療の概念を支持するのではなく、実践者が医療を支持することには意味があると思います。



 実はこの混乱、適切に対応してもらえないのは、広汎性発達障害をもつ子ばかりでなく、社会性には問題がなく、読み書き算数(計算)だけに問題がある本物のLDの子も。怠学という対応をされ、二次障害である非行へというケースは少なくありません。


 こんな子どもたちにいくらでも会ってきたので、これを繰り返したくないという思いで、もう5年くらい「いつもここから」のお話になってしまうわけです。講演時間がたりなーい!
早く浸透してくれるとありがたいのですが、私如きの地道な活動ではペースはゆっくり。


ちょっぴりいやになっちゃうけど、それでも確実に浸透はしてきているので、もう少しはがんばれるかなー。教育の体制にかかわるようになって、だいぶ気が長くなりました。

あきらめたら終わりだから。



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障害児の見分け方???

2007/09/05 23:05
 今回もまたまた「よくあるご質問」について。「障害があるかどうかを見分ける方法を教えてほしい」というご質問も、よくあるご質問ベスト5くらいに入るのではないかと思います。


 そんなとき、「障害があるかどうか見分けることは、そんなに重要ではないのでは?」という主旨の答えをさせていただいています。私たちの仕事は、診断ではなく子どもを伸ばすこと。基本現場では、何度か言って聞かせて子どもが変わらなければ、工夫や配慮、ハードルを下げるなど、何らかの手立てが必要なのではないかとお話をします。


 見分けたい理由は、「わがまま」や「怠け」、「甘え」なら、叱る・注意をするという従来の手法をとるけれど、障害だとわかれば何らかの配慮をするという線引きのようです。


でも、逆に考えて、「わがまま」「怠け」「甘え」と思われる子が、『叱る』」『注意する』で変わるのかなーとも思うのです。もちろん、変わる子もいるでしょう。でもそうじゃない子も多いんじゃないかなー。


「わがまま」や「怠け」「甘え」などが目立つ子は、もともと脳内の「耐性」にかかわるシステムが、うまく機能しにくいという可能性もあります。軽度発達障害の各障害の特徴は、少なからず私たちにも個性の範疇として存在するもので、とてもねばり強い人もいれば、すぐに投げ出してしまう人もいる、温厚な人もいれば、短気な人もいる、思考が柔軟な人もいれば、融通が利かない人もいるなどなど、これらは環境要因だけでなく、生得的な特徴の影響もあるということです。


 だがら、かすーかにその傾向があるかも・・・という子は結構いるわけです。もともと、「耐性」に多少育ちにくい部分がある子に、叱ったり、注意したりを繰り返し、非行なども含む二次障害に陥らせているケースはこれまでにたくさんあったと思われます。


 特別支援教育の対象となる子の中には、診断がない子の方がたくさんいるのではないかと思います。数少ない専門医なら、診断を出すであろう微妙なグレーソーンの子も。障害のあるなしにかかわらず、子どもの特徴に歩み寄り、子どものよさを最大限発揮させる対応ができるといいなーと思います。


 なぜ、子どもの障害の有無を見分けたい先生が多いのか。たぶん、教育現場に余裕がなく、たくさんの子どもの特徴に歩みよるなんてことが困難なことと、伝統的な教育観によるものでしょうかね。教育行政には、現場の過重負担軽減のお願いと、現場には、伝統的な教育観の転換のお願いを・・・なんかお願いばかりしているよーな。


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『軽度発達障害』という“く・く・り”

2007/09/02 06:41
 我がリソースセンターoneには、何が問題なの?と周囲に思わせる子がかなりの割合で通ってきています。目立つ言動はあまりなく、勉強も結構できる子もいます。大概は、無礼・失礼、性格が悪い、変わってる、扱いにくい、融通が利かない、はなはだしく空気が読めないという感じの子どもたちです。


 軽度発達障害には、知的側面に関していくつかの解釈があります。@知的に標準域以上、A知的にボーダーライン以上、B軽度知的障害。当センターを利用しているのは、ほどんどが知的に標準域以上の子どもたちです。


こういう子どもたちでも、診断が出るようになってきました。ただし、軽度発達障害について、精度の高い診断ができる医師が不足しているというのは有名なお話で、都内でも片手分いらっしゃるかどうかというのが現状です。このことについては、またいつか機会があれば書いてみたいと思います。



 さて、現状の園や学校現場では、このような子どもたちを「障害」といわなければなりません。そうしなければ、適切な対応・配慮を求めることができないからです。


よく、幼稚園で保護者が障害を認めなくて困っていると先生からお聞きすることがあります。特に、家ではあまり問題がない場合が多い。そんな時、子どもによっては「この子は、きっと個性の範疇になっていくでしょうから、危険を冒してまで保護者の方に障害受容を迫らなくてもいいかもしれません。それより園で適切な対応をして、子どもの特徴と対応のヒントを保護者の方に返してあげましょう。」とお話しすることがあります。脳は成熟しますし。

 

 私が研修会や講演会でお話することのなかに、特別支援教育の鍵は「意識の転換」だというものがあります。一つは、「子ども観・人間観」の拡大。もう一つは「教育観の転換」です。教育観の転換についてはまたいつか。


子ども観の拡大・・・そうは感じない子がいる、そうは思わない子がいる、一般的に自然に見て学べることが学べない子がいるということです。


自分は努力をしなくても勉強ができるので、友だちのテストの点について「何でそんな点なの?」と不思議に思い友だちに聞いてしまう。その結果、相手がどう思うのか、自分にいじめなどのかたちでかえってくる可能性があるというところまで思いがいたらない。


このことに限らず、本人は「知らない」「わからない」「できない」「自分でもとめられない」なんていうことはよくあることなのですが、「わざと」「嫌み」「いやがらせ」「反抗」「怠け」など、悪意にとられることがほとんどのようです。


子ども観が拡大されれば、彼らを「障害」と呼ばずして、当たり前に必要な支援・教育がなされる方向に展開していくであろうと。というかしてほしい。



 彼らのような子どもは、上手に育ててあげれば、個性としてそれなりに社会で自分の道を歩んでいけます。しかし、現状では上手に育てるのが難しいため、もともとの脳機能のうまくいかなさではなくて、環境や対応が合わなかったために起こる心の問題(二次障害)を引き起こしてしまうことが少なくありません。これは、結構手ごわいです。二次障害についても、いつか機会があれば。


 
 ちなみに、知的障害やその他の、世間で「障害」と言われる状態についても、ことさらに「障害」という名前をつけなくても、その特徴に対して必要な支援が、自然に当たり前になされる心豊かな社会になるとよいですよね。



 私はといえば、社会を変えるような立派な活動はできないけれど、「障害」などといわなくても、彼らに必要な支援がなされる日をめざし、園や学校に「子ども観の拡大」をお願いして回る毎日です。道のりは長いと思いますが。



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