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特別支援教育☆脱:「慣れさせる」編

2007/07/27 07:40
 いよいよ「脱」シリーズの最後となりました。そろそろ違うことを書きたくなってきて、続けるって大変だなーと思い始めてました。また、私が代表をしている軽度発達障害児:発達支援機関 リソースセンターoneのスタッフや夫から、文章が硬い!というおことばをいただき、加減が難しいなーというのも、ブログ初心者の実感です。まっ、徐々にいい味出せるように努めます。



ということで、今回は「慣れさせる」つまり繰り返しという発想についてです。
「慣れさせる」は裏づけのないトレーニングということになるかもしれません。


漢字を覚えられない子に何度書かせても覚えられないのは、みなさんご存知ですよね。覚えられない子の中には、書くという作業に脳を使いつつ、覚えるという作業にも脳を動かすという同時進行ができない子もいます。


そのような子が罰ゲームみたいに何度も漢字を書かせられれば、漢字や勉強そのものが嫌いになって、勉強させる人も嫌いになりかねない。

心が育たないですよね。



この例とは別に、勝ち負けの受け入れができない子も結構いますよね。
通級などにいくと、この点の是正に取り組んでいらっしゃったりします。
ケース会議のために学校に行き、行動観察なるものをするのですが、ときに私にとって拷問になることも少なくありません。


その、勝ち負けが受け入れられずにパニックになる子は、課題として勝ち負けのあるゲームを毎回やることになっているようでした。子どもが「う〜っ」となるたびに、私は、「終わりにしましょう」といいたくなるのです。


脳は成熟します。幼児のときに「すっ飛び君」だった子にトレーニングなどしなくても、大人になっても幼児のときと同じような「すっ飛び君」のままということは、ほとんどないといえるでしょう。


むしろ、「う〜っ」となったり「すっ飛んだり」することになってしまう、必要以上の刺激を与えないことの方が大切でしょう。刺激を与えて「う〜っ」や大暴れ、「すっ飛び」を強化しないということです。


そうこうしているうちに脳が成熟して、気付かぬうちに「う〜」ってなることは目立たなくなっていくわけです。


苦手のある子に苦手があるからといって、裏づけのないトレーニングを繰り返し、必要以上に無理をさせることなく健やかに心を育てたいものですね。


彼らについては、トレーニングよりも、まず脳の特徴の理解が大切だということになるかもしれませんね。



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特別支援教育☆脱:「ほめる」続編

2007/07/25 07:29
 学校でつくられる個別指導計画に踊る手法「ほめる」には、2種類の使われ方があるということをお伝えしました。前回は、対人理解や社会的文脈の理解など、生きていくベースに近い部分の修正を本人に無理なくしてやれないでいて、子どものいいところをほめただけでは、表面的な自信になるだけで、生きていく自信にはつながりにくいということを書きました。


さて、今回は2種類のうちのもう1種類について。

本人の生きていくベースにかかわることについて、多少の修正が見られたらほめる。つまり、先生が設定した短期目標について、本人がそれなりの成果を残したらほめる。これは理にかなっています。


しかし、この場合でもある手続きを怠ると、先生の独り相撲という場合も少なくありません。「叱る」についても「ほめる」についても、それを繰り返し、いつかは本人の行動様式に反映して定着してくれるだろうという、指導者としてやはりこれも他力本願が前提になっていることがあります。



これだけでは、言動の変容があったとしても、子どもの反射にとどまるということになりかねないということです。私は、これを笑点の座布団にたとえることがあります。ただ積み上げただけでは、容易に崩れます。


子どもの意識へのアプローチがなければ、「串」は通らないのです。
本人がマイナスのイメージではなく、客観的に自分の状況・苦手を認識し、苦手な領域については、どこに向かって歩んでいけばよいのかの道、見通しを本人に示してあげることが必要です。

そして、その方向性の中で、本人が無理なくクリアできる課題を提示し、本人は見通しと課題を認識している必要があります。

そして、自分なりに課題をクリアした実感をもてる状況でほめる!


本人は、このクリアは、自分の方向性の通過点であることが何となくわかっているというのも大切です。軽度発達障害児の場合、子どもによっては幼児からこのアプローチができます。


この本人の意識が「串」となり、反射ではなく定着に向けて先に、未来につながる可能性を残すのです。



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特別支援教育☆脱:叱る・ほめる・慣れさせる「ほめる」編

2007/07/22 08:18
 軽度発達障害の子どもに「叱る」は効果的でないことは、どこの本にもかかれていることですよね。ただ、私が前々回書いた「叱る」が効果がないのは、本人の「精神的ダメージ」という理由でないということでした。


 さて、今回は「ほめる」について。
「ほめる」は大切な手法と紹介している本がほとんどだと思います。私も、ほめてはいけないというつもりはありません。しかし、実践では、ほめれば伸びるという単純なものではないとお気づきの方もいらっしゃるのではないでしょうか。

先生方と個別指導計画を一緒に立てる際、まずとりあえず先生方に立てていただくのですが、そうすると「支援の手立て」に「ほめる」という文字が踊ります。そして使われ方は2種類。


1つは、自信を持たせるという目的で、得意な点をほめるという感じです。たとえば、高機能広汎性発達障害の子は、音読は俳優バリにうまいことがあるのでそういうことを。

これに関しては、「自信」というもののとらえ方を深める必要がありそうです。
彼らは、社会で生きる基本、たとえば学校のお掃除程度の段取りがわからなかったり、机の上がてんこもりになっていたり、空気を読むのがはなはだしく苦手で無礼な人になってしまったり、「ダメ」や「やめなさい」でパニックになって人に手を出してしまったり、まったく日常の当たり前のことにいちいちつまづいているわけです。


こんな状態をそのままにして、いくらいいところをほめられても、生きていける自信、人間のベースの部分には届かないということになります。もちろん、よいところを伸ばす、認めるということは大切で、それを否定するものではありません。ほめられた得意なことが一芸に秀でるということになり、社会で生きる基本の部分はかなり厳しくても、その道で名を馳せるということがないわけではないのですから。


ここで話題にしたいのは、指導側の認識。
よいところをほめれば、苦手なところにまでその自信が波及して自分の力で苦手を克服してくれるというような認識が指導者側にあるとしたら、指導者としてはあまりにも他力本願。それがありえないわけではありませんが。信頼にたる確率ではないと思います。


指導者がやらなければならないのは、彼らの苦手に彼らと一緒に向き合い、苦手なことについて脳機能の視点で要因を分析し、この苦手について、本人に無理のないハードル、クリアのための合理的な方法を提案し、本人のモチベーションをあげ、結果を出させることではないでしょうか。


ほめるのはここで!


苦手に対して、無理をさせずに着実に成果をあげさせ、そしてよくなっている自分を実感させるためにほめる。実感できれば別にほめなくてもいいのですが。


脳機能の視点で要因を分析し、苦手な領域について本人に無理のないハードルと合理的なクリアの方法を考えるのは、現場の先生方の専門分野ではありません。
というわけで、そこを提案するために、連日学校や園にお伺いしている私なのでした。
先生方と私、専門性のコラボってとこでしょうか。


もう一種類の使われ方についてはまた後日。


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特別支援教育☆脱:「叱る」の続編

2007/07/19 23:35
 前回、軽度発達障害児の中で、想像力の障害による対人的因果関係の理解の困難、社会的文脈理解の困難がある子、自己コントロールが困難な子には、叱ってもあまり効果がない理由を書きました。

次回は「ほめる」について書くと宣言をしてしまったのですが、今回は、「叱る」についての付け加えとしたいと思います。



先生方に、個別指導計画立案のための書類や、子どもについての情報をお書きいただく際、「やさしくいう」「みんなからの評価が下がると叱らないで伝える」「みんないやな思いしてるよと叱らないで伝える」というような表現に何度か遭遇したことがあります。


恐らく、このように書いてくださった先生方は、勉強されていて「叱ってはいけない」という前提で書いてくださったのだろうと思われます。しかし、「そんなことしたらみんなに嫌がられちゃうよ」というようなフレーズを、怖くない言い方でいったとしても、怖く言ったときと結果はそれほどかわらないでしよう。



表面的な「言い方」が大きな問題なのでなく、本当に彼らが必要としている情報、環境(環境刺激の軽減)、そしてもっとよくなれるという希望を提供することが大切なのではないかと思うのです。


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特別支援教育☆脱:叱る・ほめる・慣れさせる「叱る」編

2007/07/17 23:46
 ある講演会で、叱っても効果がない旨お伝えした際、講演後にある先生が私のところに来てくださいり、「自由にさせておいたほうがいいんですね−」と話されました。えっ?そんなこと言ったかなー、とちょっとびっくりして慌てて説明をさし上げました。

講演の中では、対応の基本ということで「叱る」に変わる方法もわかりやすく提示したつもりだったのですか、なぜそんなふうに伝わってしまったのか、その後は反省の日々でした。150人以上いらっしゃった講演会なので、他にもこう思った方がいたかもしれません。そして、約1ヵ月後その答えが出たのでした。


 ある学校の個別指導計画の立案にお伺いした際、立案者である担任の先生に何ということなく「叱ってはいけない」ということも含めて対応の仕方の解説をさし上げました。その後、この先生からこの学校の他の先生に「叱ってはいけない」というフレーズが強調されて説明されたということでした。



というわけで、私なりに行きついた答えは、学校や園では、「叱る、ほめる、慣れさせる(繰り返し)」という方法が言動修正の王道であり、その方法が通用しないということは大事件で、過反応になられるのではないかということでした。

それ以降、対応の基本というくくりでお伝えするのではなく、明確にインプットしていただくよう、「叱る・ほめる・慣れさせる」に変わる方法というくくりで、インパクトをもって言動修正の方法を提示するようにしています。



 叱られることによる子どもの精神的なダメージの問題を説く方が多いと思いますが、私は「叱る」という方法が通用するなら大いに使ってよいと思います。しかし、想像力の障害による対人的な因果関係の理解の困難、もしくは自己コントロールに困難をもつ軽度発達障害の子どもにおいては、私の経験上、何度叱っても彼らは同じことを繰り返します。効果がないということは、本当に彼らがほしい支援ではない証拠であり、合理的ではありません。

何よりお互い心を通わせることができず、悲しい誤解を生むことになるのです。



さて、「叱る」が効果的でない理由。「叱る」は、叱られた者が、気分は悪いけど言われたことについては理解できないわけではない、という場合には効果があります。叱られる怖さともあいまって言動修正の助けになるかもしれません。

しかし、知的障害を伴わず、立派なことが言えても、実は自分のやったことと叱られている内容の因果関係が自然に結びついていない子には、叱られることは言いがかり、攻撃としか受け止められないことがあります。自分は悪くないと言い切る子もたくさんいます。彼らの表面的な語彙量に目くらましされて、対人的な因果関係の理解がうまくいっていないという困難に気付いてあげられず、叱り続けてしまうことも少なくないようです。


また、自己コントロールが困難で、わかっちゃいるけどその場の刺激に反応してしまう子についても、叱られるだけでは本人はどうすることもできません。


因果関係の理解の困難な子には感情をいれずに解説を、刺激に反応してしまう子には、入る刺激自体の調整をしてあげる。刺激に反応してしまう子の場合、対応が悪くなければ、1・2年後には自力の脳の成熟により、今と同じような言動はなくなるはずですから。


具体的で詳しい解説の仕方、環境統制(調整)の方法は、一ひねり必要です。
また機会があれば。
講演会等にお越しいただければ、いつもお話していますが。

次回は「ほめる」について書けたらいいなと思っています。


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